全てが高い牛久大仏 (千葉〜東京) 2008年9月10日


 朝4時まで飲んでいたが8時には目覚め、それから昼までだらだらと土手で過ごした。この利根川沿いはサイクリング・ロードになっており、それなりの格好をした本格的なサイクラーを頻繁に見掛る。

 私の場合は自転車で旅していても、その楽しみはキャンプや地元人との交流なので、どんな格好や自転車でも気にしない。四国を一周して神奈川まで走った時などは、中古のママチャリを使用したくらいだ。

 長門川公園から牛久大仏までは20kmなので、2時間も走れば到着する。バイクの友人はこの辺りをツーリングし、家に帰らなければ今夜も合流するといって出発して行った。
 私は利根川沿いのサイクリングロードを走り、長豊橋から国道408号線に入り牛久大仏を目指した。

 牛久御苑に近づくにつれて大仏の姿が現れた。田畑や林の上に上半身だけが見える姿は奇妙でもある。その距離感からしても、 相当にデカイのが想像付く。キャンプしていた長門川公園からもその姿がぼんやりと見えたくらいだ。

 間近で見る大仏は迫力満点だった。よくもまあこんなもんを造ったなと感心する。大仏の高さは120mでギネス認定の世界一。大仏を正面に見た所に賽銭箱があったのでそこに10円を投げ込み、この旅の目的だった「いい仕事が見つかるように」と願掛けを済ませた。

 大仏内を見学する入口は裏手にあり、係員が来て自動ドアが開かれると10畳ほどの部屋に通された。そこでは1分間暗闇になり、アナウンスが流れる。この暗闇の状態は、雑念を振り払った無欲の状態だという。入口にはそんなちっとした演出があった。

 その後に通された1階と2階部分には、壁沿いに座布団が敷かれた写経席などがあった。怪しげなライトが照らすその空間は、厳粛というよりは、どこぞの新興宗教みたいな雰囲気だ。

 2階からエレベーターがあり、85mに位置する5階の展望室へと上がった。そこからの景色は大したものではなかったが、ブッダのゆかりの地である、生誕の地ルンビニ、悟りの地ブッダガヤ、初転法輪の地サールナート、入滅の地クシーナガルなどの写真が飾られていた。どこも訪れた事がある場所だけに、景色よりもその懐かしさに浸っていた。

 エレベーターで降りた3階は大小二種類の金色の仏像が壁一面に祀られており、その一つ一つには「・・家」と書かれていた。どうやらここで永代経や納骨も行えるらしい。
 説明を読むと、永代経や納骨の価格は大サイズが100万で小サイズは30万。私には大金を払ってまで、ここに収まる意味が分からない。

 ゴールの牛久大仏で願掛けもしたので、後は家に帰るのみ。ここから少し足を伸ばした霞ヶ浦の湖畔には、特攻隊員の遺品や手紙を展示する予科練記念館があった。ここにも行きたかったが、鹿児島の知覧を訪れた事があるのでまたの機会に。そのまま国道6号線に出て東京へと向かった。

 途中で休憩したコンビニでアイスのガリガリ君を食べたところ、当りが出た。早くも願掛けの効果が出ているようだ。
 スタートしたのが昼なので体力もあり、フラットな国道も走りやすく、快調なスピードでバンバン走れた。宿泊予定地をさらに越え、日が暮れる頃には松戸に到着。

 バイクの友人が今夜も合流出来るというので、松戸で銭湯に浸かった後に少し走り、葛飾区の水元公園を今夜の寝床にした。
 都内なので住宅街の中にある公園かと心配だったが、周辺に民家もなく静かでいい場所。簡易な青空酒場で深夜1時まで、今夜も懲りずに友人と酒盛りをした。




Copyright (C) 2019 諸行無常 All Rights Reserved