何もかも遅い (台北) 2007年4月10日〜13日


 朝飯を探しに宿周辺をうろつくと、ソフトボールくらいの大きさのおにぎりを売る屋台があった。ビニール袋の上に飯を敷き、その上に高菜、肉、薄い玉子焼き、油で揚げた筒のようなものを入れて袋ごと握っている。美味そうなので一つ頼んだ。

 料金は25元。味もボリュームも満足がいくものだった。このおにぎりを食いながら次に見つけたのが粥の屋台。魚肉入りの粥と甘いストレートティーが付いて25元と安く、これまた美味い一品だった。

 朝食を済ませ台北駅へと歩いた。寺のような外観の駅の向かいにあったのは、一昔前まで台北一の高さだったというビル。それらを眺めながら二二八公園へと進んだ。
 公園は日本の領地時代からある場所で、記念館やモニュメントなどが建っていた。記念館は日本統治時代にNHKの台北支局として建てられたものだが、現在は二二八事件(国民党による台湾人への弾圧事件)の記録を展示する記念館となっている。

 公園内には小規模の野外ステージがあり、そこで太極拳をやっている数人のおやじたちがいたので、向かいの椅子に座りながら観客になって眺めた。この太極拳は要するにスローなラジオ体操といったものだろう。

 近くにあった総統府を眺めながら、初代総統である蒋介石の死を偲んで建てられたという、中正記念堂まで歩いた。立派な巨大な門を潜ると中央に記念堂があり、その左右には音楽堂と美術館が並ぶ。

 音楽堂の前を通ると、10人程のおばちゃんたちが社交ダンスの練習をしていた。その踊りのBGMとして使われていた音楽になぜだが耳を奪われた。
 よく聞いてみると、それはなんと台湾語ヴァージョンの「浪花節だよ人生は」だったのである。スローな社交ダンスとテンポのある演歌といったミスマッチな組み合わせがなんとも可笑しかった。

 中正記念堂では、毎日1時間ごとに行われている衛兵の交替式をタイミングよく見ることができた。階段の下からロボットのような行進で交替する衛兵が上がってくるのだが、これが本当にロボットじゃないかと思えるほどのスピード。
 あんな歩き方じゃ緊急時にはまるで役に立たないだろう。「早く走れ!」と突っ込みたくなるほど遅いものだった。

 2名の衛兵が記念堂内の蒋介石像の左右を警備しているのだが、それは直立不動で立っているだけ。まるで人形のようにピクリとも動かない。これも訓練のひとつであるらしいのだが、あれは見ていても疲れるような仕事で、まるで罰ゲームのようにも見えた。

 多くの観光客の中に、日本人の団体もいた。私は観光地で日本の団体を見つけるとその一行について周り、ガイドが話す日本語の説明を盗み聞きするという作戦を取る。この時もその話からいろいろとこの建物にまつわる事が聞けた。

 ガイドの話によると、普通建物は南向きに門を作るのだがここは西向らしい。それは蒋介石が抱いていた帰郷の念を表してるようで、ブロンズ像も中国本土がある西を向いているという。

 「晴れた日にはここから北京が見えます」という言葉に、日本人団体客の誰もが素直に感心すると、「そんな訳ないでしょ。日本人はバカね」とガイドは茶化していた。
 おまけに、建物内の石は何で出来てるか分かるかと尋ね、誰もが答えられないと「それは蒋介石で出来てます」などという下らない洒落を言い、一人で笑っていた。

 記念堂を左に下りると、入口の脇からニ胡のような音色が聞こえてきた。見に行くと爺さん3人がニ胡、琵琶、カスタネットで演奏しており、婆さんがそれに合わせて民族歌を歌っていた。
 実に中国らしいその音楽や、社交ダンスの所で流れていた台湾語ヴァージョンの「浪花節だよ人生は」などを聞いて、外国に来という実感がようやく沸いてきた。




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