ソーラン節 (チェンマイ) 2003年7月24日〜29日


 早朝にバスはチェンマイに入り、ガソリン・スタンドのような所で停車した。タイ人の若い女が英語で何か説明していたが、寝起きの頭では理解不能。そこからソンテウに乗り換え、市内のゲストハウスに連れて行かれた。

 そこの受付の女にチェンマイ門はどこかと聞くと、歩いて7、8分だというので歩き、予定していた「タイウェイ・ゲスト・ハウス」にチェックイン。シングル部屋のバス・ルーム付きで100バーツ。部屋も綺麗で隣は市場と便利な宿だった。

 自転車をレンタルして市内に点在する寺院巡りをした。ワット・クータオを訪れた時に寺の改築工事をしており、移動した2mくらいの大きさの仏像を元の場所に安置する作業が行われていた。

 男達が作業する傍らで、3人の爺さんが太鼓、シンバル、それと鉄琴のような音色のする鐘が6つぶら下がった楽器で音楽を奏で、作業を盛り上げていた。
 きっと宗教的な演奏の類なのだろうが、この音がうるさくて作業に集中出来なく、1人のおやじが文句を言って演奏を止めさせていたのは笑えた。

 夕食にレストランへ行き、焼肉とすき焼きをを一度に楽しめるというムー・ガタを食べた。出てきた鍋はメキシコの代表的な帽子のソンブレロのような形をしたもので、中心が盛り上がり、その周りに湯が張られている。

 焼肉を食べたければ中心の部分で焼く。すき焼きはその周りで出来る。おまけに焼肉を焼いている肉汁が下の湯に落ちるので、さらに美味い出汁も出るという一石二鳥の食べ方だった。

 チェンマイ中心部にはナイトマーケットがあり、夜でも賑やかだった。バンコクと同様に観光客が多く、屋台や土産屋、レストランにバー、マッサージ店やニューハーフショーの店まで、様々な店が詰め込まれている。15m程の高さがあるロッククライミングが出来るアトラクションがあったのは珍しかった。

 マーケットでは独特の民族衣装に身を包んだアカ族の女たちが、商品の載った盆を肩から紐でぶら下げ、歩きながら物売りに精を出していた。
 アカ族はチェンマイ北部の山岳民族。もともとは中国南部に住んでいた一派が、ラオスやミャンマーを経由して次第にタイに南下したという。

 毎週日曜の夜にはサンデー・マーケットがあり、ダーぺ門界隈が歩行者天国になる。通りには出店が並び多くの市民で賑わい、さながら祭りのような雰囲気。
 店以外にも、子供たちの音楽隊、盲目者たちのバンド、民族音楽を奏でるバンド、ギターの弾き語り、クラシック四重奏と、ストリート・ミュージックにもバラエティがあった。

 そんな中に、三線を弾きながら沖縄民謡などを歌っている日本人の爺さんがいた。沖縄出身というこの爺さんは東京に40年住んだが居心地の悪さを感じ、退職後に新天地を求め、沖縄の雰囲気に似たチェンマイに移り住んだという。

 そんないきさつや曲の説明を、英語やタイ語でもなく日本語で話していた。そして、この曲も日本の代表的な曲だとソーラン節を歌いだした。
 気持ちを発すれば言葉など関係ない。なんという逞しさだろう。爺さんの大和魂を感じ、せめてものエールにと置かれている楽器のケースに100バーツを入れといた。

 チェンマイはタイ第二の都市だが、そんなに都会的でもないのでバンコクより居心地がいい。マーケットで聞いたソーラン節も、不思議とこの場にマッチしていた。
 都市化が進めばこの土地も住みずらくなり、やがては居心地が悪くなってしまうのだろうか。いつかこの地を再訪する時まで、この良さが残っていて欲しいものだ。




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