鬼太鼓どっとこむ (両津) 2010年5月23日


 佐渡島一周を徒歩で達成した私の報酬は、伝統芸能である鬼太鼓のイベントがタイミングよく開かれたこと。旅の途中で手に入れた「えール」という無料情報誌のおかげで、これが行われるのを事前に知れたのだ。
 そのイベントは「佐渡國鬼太鼓どっとこむ」。佐渡では鬼太鼓のことを「おんでこ」と読むので、これは「おんでこどっとこむ」と読むことになる。

 イベントが行われた会場は、両津のおんでこドーム。私は隣の公園で前日キャンプをしていたので、昨夜は1時間の前夜祭も見る事が出来た。
 当日も会場にすぐ足を運べたので、朝9時の開会式から夕方16時の閉会式まで、一番前の席で一日中たっぷりとこのイベントを満喫した。

 鬼太鼓とは五穀豊穣や大漁、家内安全を祈りながら集落の家々の厄を払うもので、通常の開催は集落にある神社の例祭日に行われるもの。起源は諸説あるらしいが、佐渡の相川地区には古くから鬼太鼓が存在していたようだ。

 江戸後期には島内各地で芸能として定着し、原型から多様なスタイルが生まれていったという。その理由は、伝承形態がすべて口伝だったこと。その為、集落の数が120あるとすれば、鬼太鼓も120あるというほど多様なスタイルがあるという。

 その多様性は方言に例えられるようだ。関東人が関西弁をいくら真似てもどこか違うように、鬼太鼓もどんな名手が踊っても、別の集落の微妙なニュアンスまでは表現できないのだという。

 スタイルは様々あるようだが大体の流れは、鬼の面を被った者が舞いながら中央に置かれた太鼓を叩く。これは2,3人が交代する。太鼓の両側には提灯を持った大人や子供が並び、掛け声を掛けながら鬼の前に提灯をかざしたりする。

 私は太鼓を叩こうとする鬼が厄で、その鬼を近付けないために提灯をかざしているのかと思っていたが、それはまったく違かった。
 厄を払ってるのは叩いている鬼で、提灯をかざすのは、かつて鬼太鼓は夜に行われていた為。昔は提灯の光が無ければ夜の鬼は踊れなかったらしい。顔の前に近づけるのはライトアップのようなものだろう。

 イベントは島内各地から集まった鬼太鼓がメインだが、他にも獅子舞や大黒舞、樽ばやしや民謡といった芸能も見ることが出来た。会場には特産品の出店も出ていたので、酒を飲みながらそれらも味わえるという一石二鳥のイベントだった。

 メインステージとは別にサブステージもあり、出演団体は時間をずらしてそこでも披露していた。サブステージの方がより間近に見れるので、メインステージを見るよりも迫力がある。
 さらに、出演を終えた団体もサブステージ周辺で引き続き披露しているので、会場内を一日中うろうろしていても飽きることがなかった。

 佐渡で有名な和太鼓集団の「鼓童」は、元は佐渡に出来た和太鼓集団「鬼太鼓座」から分離独立したのが始まりのようだ。とすれば、ルーツはやはりこの鬼太鼓になるのだろう。
 鼓童には1軍と2軍があり、1軍になる為には太鼓の練習だけでなく、肉体作りや礼儀作法、英語なども学ばなければならないらしい。

 2軍は柿野浦にある寮で共同生活しているという。私はその場所を覗くつもりだったが、他の事を考えていて通り過ぎてしまった。仮に行っていら、大荷物を引きずる私は入門者と勘違いされたかもしれない。

 鼓童のメンバーには佐渡出身者は少なく、半数が他所から来た者だという。佐渡は流刑の島なので、昔も他所から来た者が多かっただろう。
 和太鼓も鬼太鼓もその伝統を受け継いでいく者ならば、出身がどこだろうが、性別がどちらだろうが、国籍が何だろうが関係ない気がする。どの分野にも同じことが言えると思うが、要は文化を途絶えさせない事が肝心なのだろう。

 その鼓童は「アース・セレブレーション」というイベントを毎年行っているようだ。これは「たたく」をテーマに海外や日本国内から様々な演奏者が集うイベントで、パフォーマンスだけでなく楽器や民族衣装などの販売も行われるようだ。次に佐渡島を訪れる時はこのイベントも見てみたい。

[この日の写真]




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