通貨もいろいろ (ベトナムからラオス) 2009年7月20日〜21日


 フエからラオスの首都ビエンチャンまでは国際バスが走っていたので、それを利用して一気に移動することにした。バスは直通ではなく、ビンという町で乗り換えがある。移動は24時間。乗り込んだバスは体を横に出来るスリーピング・タイプで、席は一番後部の5人席だった。

 ただでさえ狭い席の隣に乗ってきたのが、武蔵丸のような巨漢の男。前の一人席にはボブ・サップのような黒人。エアコンが効きすぎてるので暑苦しくはないが、そんな状況下は窮屈な気分で仕方なかった。

 夜中の3時にビンで乗り換えたのは、スリーピング・タイプでなく普通のバス。寝ぼけ眼で乗り込むと、中央の通路には3つほど重ねられた米袋がぎっしりと奥まで並んでおり、座席下の足を置くスペースにも米袋が詰め込まれていた。
 巨漢から逃れたかと思えば、今度は米袋攻め。そんな環境にもめげず眠っていると、バスは朝6時に国境へ到着した。

 通過するケオヌア〜ナムパオ国境は山の中にあった。税関が開くのが7時からなので、それまで待機することに。
 早朝の用を足しに便所に行くと、有料で料金は2000ドン。所持していた残りのドンは1000ドンだけ。私の用は大で、キャンセルは出来ない状態。カンボジアの1000リエルが残っていたので出してみると、すんなり入れてくれた。

 ベトナム出国にはなぜか1ドル払わされた。おそらく賄賂のような類だろう。フエでこのバスのチケットを買った時の釣りで、たまたま1ドルを持っていたので対応できた。ようやくラオスに入国出来るかと思えば、こちらでも1ドルの要求。

 もうドルがないので余っていたタイの100バーツ札を試しに出してみると、これまたすんなりと受け取られた。おまけに200円分の釣りは、ラオスの通貨であるキップで返ってきた。この国境ではどんな通貨でも通用するのではないだろうか。

 ラオス入国後に昼休憩に停車したレストランの近くでは、おっさんたちが鉄球を使用するゲームで盛り上がっていた。
 ビリヤードみたいなものなのかゲートボールのようなものなのか分からないが、おっさんたちはゲームに熱くなっており、仕事はどうしたんだと心配になるくらいだった。
 おっさんたちの顔は浅黒い肌を除けば日本人と大差ない。醸し出すオーラものんびりしている。すごく親近感を覚えた。

 夕方6時にようやくビエンチャンに到着。バスターミナルは市内にあるタラート・サオではなく、町から10km離れたターミナルだった。ここからバスで一緒だった旅行者とトゥクトゥクをシェアして、ビエンチャンの中心であるナンプ広場へと向かった。

 夕方の時間帯で首都だというのに交通量は少なく、クラクションも全然鳴り響かない。すごく穏やかな空気が流れている。ベトナムとはえらく対照的だ。昔インドからネパールに入国した時に感じたものとそっくりだった。

 安宿エリアはメコン川のすぐそば。通りには土産屋がレストランが並び、川沿いには屋台が多く出ていた。
 ラオスではしつこい客引きの姿はまるでなく、のんびりした緩やかな時間が流れている。まるで日本で過ごしていると思えるほどの静かさだ。1週間ほどベトナムの喧騒を浴びていただけに、それが一層強く感じた。

 一人だけしつこかったのは夜の商売女だ。通りで声を掛けられたが素知らぬ顔で通過すると、女は追いかけてきて腕を組んできた。
「ホテルに行って一緒に寝るわ。マッサージ、フェラで10ドルよ」
 そう声を掛けてくる声がやけにハスキートーン。ぴったりと横にくっつく女の顔をじっくり見たが、何だか違和感を感じる。多分、その女はニュー・ハーフだったのだろう。

 可愛いラオ娘だったら理性が緩んだのだが、さすがにオカマとはツーカーの仲にはなれない。オファーはスルーして宿に戻り、1万キップで買ったスピリットを喉に通過させ、長時間移動の疲れを癒した。




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