カンボジアの側面 (プノンペン) |
2009年7月11日〜13日 |
シェムリアップからバスに乗り、カンボジアの首都であるプノンペンに移動した。カンボジアというと誰もが思い浮かぶのがアンコール・ワットだけだろう。
その光の一面だけを見ただけでは、カンボジアという国は感じられない。影に潜む側面も見ねばならぬと、プノンペンではディープな場所へと足を運んだ。
まず訪れたのは、スタンミエンチャイにあるゴミ山。カンボジアといって思い浮かぶのは、私の中ではアンコール・ワットとこのゴミ山だった。ここはプノンペン全域から集められたゴミの最終処分場。といっても単に集めたゴミを埋め立てるだけの場所だ。
入口から続く1本道を奥へ進むと、ゴミの大地が広がっていた。物凄い悪臭が立ち込めており、所々から煙が上がっている。何台もトラックがやってきてはゴミを巻き、シャベルカーがそれを分散。その傍らで袋を持った人々が、来たばかりのゴミを拾っていた。
さらに奥に広がる地面もゴミで埋め尽くされ、袋を手にした人々が懸命に何かを物色していた。周辺には住居エリアがあったので、おそらくここでゴミ拾いをして生計を立ててる人たちの住まいだろう。
目にするもの全てが衝撃的だったが、一番驚いたのは子供が陽気に「ハロー」と声を掛けてきたことだ。この一言にはやられた。何という逞しさだろう。
ゴミ山の次に向かったのがキリング・フィールド。ここは1975年から1978年にかけて、約2万人の人々がポル・ポト派によって虐殺された現場。
慰霊塔の中には掘り起こされた頭蓋骨が山のように並べられていた。棍棒で処刑された者も多いらしく、それらの頭蓋骨にはヒビが目立つものもあった。まだ掘り起こされてない遺体も多いという。驚くことだ。
同様に驚いたことがある。ここへ来るのに利用したバイタクの運ちゃんはキリング・フィールドの場所を知らず、私に「どこで曲がるんだ」と何度も道を聞いてきたのだ。
そんな事を聞かれても私は「知らない」としか言えない。そんなやりとりをしてる内に、曲がらなければいけない場所から軽く10kmは通り過ぎていた。
それが分かったのは、ずいぶん走った所で西洋人の女2人が乗るトゥクトゥクが停車していたおかげだ。心配になった私はバイクを停めてもらい、彼女たちにキリング・フィールドの場所を聞いてみた。
すると彼女たちも道に迷っており、何とそのトゥクトゥクの運転手もキリング・フィールドの場所を知らなかったのだ。
コントをするんじゃなく、ちゃんとしろと言いたい気分だった。結局2台して来た道を戻り、2人のドライバーが道を尋ねて目的地には到着できたのだが。まったく呆れるというか、アジアっぽくて笑える出来事だった。
夕方には売春街として有名な「トゥールコック」に行ってみた。しかし、バイタクで降ろされたエリアをくまなく歩いて回ったが、どこにもそんな場所はない。一軒だけそれっぽい女がいて「ブン、ブン、5ドル」と声を掛けてきた。
売春街のようなエリアは見当たらないので諦めて帰ろうとすると、同じ宿に泊まっていた2人の旅行者と偶然出くわした。彼らの目的もトゥールコックであり、一人は過去にここを訪れたことがあった。エリアはここのようだが、かつての面影はなくなってしまったようだ。
ゴミ山、キリング・フィールドとカンボジアの影の側面を目にし、様々な感情を抱いた。最後のトゥールコックが影に潜みすぎ、なくなっていたのが残念だ。
現存していればそこでも抱く「モノ」が多くあったと思うのだが。なんて表現は、ほんのブラックジョークに過ぎない。