贅沢なひと時 (北中城〜知念岬) 2010年3月15日


 片輪がホイルだけの状態になってしまったカート・二バーンU世と共に、北中城運動公園を8時に出発した。購入してから僅か4時間足らずでこの姿になった安物。
 プラスチック製なので道路との摩擦で削れていくのは目に見えており、今日どこまで持つか分からない。とにかく頼りない相棒と共に歩いていく。

 既にタイヤが外れているので、それだけでも状態が斜め。距離が進むごとにU の字の溝があったホイルも平らになってくる。その為、歩道の状態が悪いと重い荷物が傾いて、カートからずり落ちる事が頻繁に起こる。これがまたイライラする。

 いつものペースで進めば昼前には与那原町に着く。その辺は栄えてそうなので、ホームセンターもあるだろう。だが、果たしてそこまで持つかどうかだ。
 心配しながら歩いているとA-COOPが現れた。店頭に並ぶショッピング・カートを見た時、盗みたくなる衝動に駆られた。そんな邪心を振りほどき、とにかく歩く。

 すると、与那原町の手前の西原町で、遂に救世主のメイクマンが現れた。ホームセンターに到着した時のタイヤの状態は摩擦でほとんどが削り取られ、まるで梅干のような姿。まさに屍のようだった。
 本物のカート・コバーンは27歳の時に拳銃自殺。カート・二バーンU世はそれを上回る、僅か6時間という短命だった。

 昨日、初代カート・二バーンが死んだ時は急場を凌ぐだけで何も考えず、一番安い1000円のカート・二バーンU世を購入した。その時にもあったのだが、500円プラスした1500円のタイプは、タイヤが2倍の大きさで40kgまで積載可能なものだった。
 タイヤがでかすぎるのが嫌で安いタイプを買ったのだが、その見てくれを気にした判断が間違っていた。

 今回は容姿などは気にせず1500円のタイプを購入。新たな相棒カート・二バーンV世の誕生だ。こいつの足回りは見ただけでも頑丈。タイヤはゴムだしホイルも鉄で出来ている。何よりタイヤの大きさがその頑丈さを語っている。
 荷物を載せて実際に使用してみると、これがまた楽に引っ張れる。歩道の段差も何のそので進んでくれるではないか。最初からこっちを買えばよかったのだ。

 今にも雨が降りそうな曇り空だったが、昼からは日差しも出てきた。運気も上がって足取りも快調。与那原町から国道331号線に入り、知念村にある世界遺産の斎場御嶽(せーふぁーうたき)を目指す。
 御嶽は琉球神話の神が存在・来訪する場所であり、祖先神を祀る場でもある。沖縄には御嶽があちこちにあるが、斎場御嶽は島内最高の聖地だという。

 数ヶ所の見所があったが、やはり一番は三庫理(サングーイ)という拝所だろう。でかい岩にぶら下がる2本の鍾乳石の下には聖杯があり、鍾乳石から垂れる雫で杯には水が溢れていた。
 もう一つの岩が斜めに寄り添う三角形の空間の突き当たりには、久高島を望める場所があった。

 沖縄や鹿児島の奄美群島には、ニライカナイという他界概念が残っている。これは遥か遠い東の海の彼方、または海の底などにあるとされる異界で、豊穣や生命の源の神界。
 久高島はニライカナイに繋がる聖地で、琉球神話が伝えられている島。琉球王国時代には国王が久高島まで渡って礼拝をしていたそうだが、後に久高島が望めるこの場所が拝所に変わったと伝えられている。

 ここで祈祷をしていたのは、首里王家の女性・ 聞得大君(きこえおおきみ)を神官とする神女(ノロ)の組織。かつて琉球の御嶽は全てが男子禁制だったようだ。その為、国王でも斎場御嶽では、御門口より先に入るには女装する必要があったという。
 ここに来ていた観光客には妊婦の姿が多かった。何か意味があるのかと入口の係員に聞いてみたが、別に安産の神とはまったく関係ないとのことだった。

 今夜の寝床は斎場御嶽のすぐ近くにあった知念岬。久高島を含めた海が一望出来るこの岬公園は、私にとっての御嶽で最高のキャンプ地だった。
 泡盛のソーダ割を飲みながらバタピーをつまみ、太平洋を眺めるのは贅沢なひと時。旅を始めて9日目。こんな所までよく歩いてきたものだと我ながら感心した。

 歩き旅は旅をしているという実感が強く、登山にも似ている。とにかく辛い事が多いが、目的地に到達した時の達成感はひとしおだ。
 カートが壊れるアクシデントが2回もあったが、幸いどちらも近くにホームセンターがあったので問題もクリア出来た。

 この知念岬公園では、辛いしかないという概念は消え去り、遙か東のニライカナイから、明日も歩き続ける体力の源を授かったような気がする。

[この日の写真]




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