話題のキャンプシュワブ (平良〜宜野座) 2010年3月13日


 疲れた。とにかく今日はよく歩いた。7時半に平良のビーチを出発して17時まで、1日のノルマである30km以上は歩いただろう。目ぼしいキャンプ地がなかった為に、いつもより1時間多く歩いたのも原因の一つだ。

 特にこれといって見るものもなく出来事も起こらず、暑い日差しの下で頭をボーッとさせながら黙々と歩いた。
 強いて言えば、慶佐次のヒルギ林や、底仁屋の御神松(スーナのうかみまーち)という樹齢200年くらいの松を見た事くらいだろうか。それと普天間基地の移設地として話題になっている、辺野古のキャンプシュワブの横も通った。

 そう言えば、辺野古から宜野座へ向う国道331号線で、米軍の大型トラックを50台くらい見掛けた。どのトラックにも大きなコンテナや何だか分からない機械が積まれ、キャンプシュワブへ向っている。まるで引越しのようなその光景を見てこんな事を思った。
 まだ公表されてないが移設地は既にキャンプシュワブで決定されており、計画は水面下で着々と進められてるのではないだろうかと。

 今日のキャンプ地は宜野座村にあった総合運動公園。ドームや体育館などもある広い公園で、入口には「めんそーれタイガース」と書かれた虎の石像があった。
 何で沖縄で阪神タイガースなのだと後で調べてみると、ここは阪神のキャンプ地として名高い場所だったようだ。

 公園内で目を付けたテント設営場は体育館の横。だが、土曜日で夕方という時間だったので、体育館では女子高生たちがバスケか何かの試合をしていた。
 こういう若者たちにテントを見られると、ギャアギャア騒ぎそうで厄介。すぐにでも横になって休みたいところだが、全員が帰宅するのを待ってから寝床をこしらえた。

 歩き旅の一日の流れを簡単にまとめると、朝は6時に起床して8時には出発。夕方16時か17時まで歩いて、適当な場所でキャンプ。足腰が痛いのですぐにテントで横になり、19時頃まで泡盛を飲みながらまったりする。泡盛は庶民的で安価な「残波」か「久米仙」。これをバタピーか柿ピーをつまみにして飲む。

 19時頃になったら3合分くらいの米を炊く。炊けた米の半分はタッパーに移し、丼ものレトルト品と缶詰も半分にしてそれぞれにかける。タッパーの方は翌朝の朝食分。横着な性分から編み出した技だ。これは朝飯だけでなく昼の弁当にするという事も可能なのだ。まあ暑い夏は無理かもしれないが。

 夜飯を済ましてラジオを聴いていると、大抵21時前には眠っている。普段ならこんな時間に寝る事はまずないが、やはり体が相当疲れているのだろう。ある時などは疲れのあまり、米を蒸らすのに待つ10分の間に寝ていたこともあった。

 キャンプシュワブ周辺では、基地反対派が座り込みの集会を行っていたというニュースを夜にラジオで聞いた。今日はそれに名護市長も参加したらしい。それを目撃することはなかったが、どこかでやっていたのだろう。

 ラジオは主にAMの琉球放送やラジオ沖縄を聞いていたのだが、どちらかの番組に年配のおやじと30代くらいの女が沖縄のことについて語るものがあった。
 これが全てうちなーぐち(沖縄の方言)で話しているので、まったく何を言ってるか分からない。言語的にはどうだか知らないが、音の抑揚や言葉の間がなんとなく韓国語に似ていると感じた。

 宜野座村からはコンビ二も現れ、周囲は徐々に町らしくなってきた。この先は南に下るにつれて栄えていく。そう考えると辺戸岬から東村までのやんばるが、やはり一番でディープなエリアだったと思う。あの辺は交通量も少なく歩きやすかった。

 今日も車に乗ってけとドライバーから声を掛けられた。旅を始めて一週間も経つのですっかり歩く事には慣れ、ありがたい誘いにも惑わされることもなくなった。何事も慣れればどうってないものだ。

[この日の写真]




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