ハードなてくてく旅 (仲泊〜許田) 2010年3月8日


 歩き旅はハード過ぎる。何でこんな事をしてるのだろう。そんな気持ちが頭を駆け巡り、何度も途中で辞めたくなった。一周を終えた後に残るのは達成感といくつものマメ、それと疲労だけかもしれない。

 昨日で既にそのマメは足の裏に数ヶ所出来たが、水を抜いといたのでそれ程痛くない。足の関節は痛くならないが、足の裏が痺れたり、足首にズキンという痛みが起こる。
 腰にも時折強烈な痛みが走る。午後になって腰を下ろして休むと、次に立ち上がる時には体重が乗った足がひどく痛む。

 1時間5kmのペースで歩けるかと思ったが、実際歩いてみると進めるのは4km。これで1日30kmを歩かなければならないので、休憩も含めると8時間はそれに要す。
 すると観光などしている時間の余裕はなく、1日中ただ歩くのみ。疲れや痛みだけでなく、ただ歩くという単調な時間がまた飽きる。

 そんな中でも沖縄らしい風景を見ると、束の間でも疲れを忘れる。民家の玄関には大抵シーサーがあり、塀や門柱の下部分には「石敢當」と書かれた表札がある。地元の人に聞いたところ、これは魔除だという。

 時折見掛ける墓がユニークな形をしている。それは本土にあるような四角柱形の形ではなく、亀の甲羅状の石の屋根の下に石室が設けられているタイプだ。
 亀甲墓というこの墓は緩やかな斜面に多く見られ、大きさもかなりある。私はこれと似たような墓を、中国福建省の永定で見た事がある。

 これを墓と知らないと、防空壕やトーチカのようにも見える。実際に太平洋戦争の最中にはアメリカ軍が軍事設備と誤認し、砲爆撃を浴びせたこともあったという。
 日本軍も簡易なトーチカや指揮所として利用し、住民も防空壕や避難所として使用したようだ。墓は亀甲墓だけでなく、破風墓や屋形墓と言われるタイプも多く見られた。

 今日は曇りで時折小雨も降っていた。歩いている恩名村にはビーチが多く、曇りだというのに海はコバルトブルー。これが快晴だったらもっと鮮やかな景色が見れただろう。
 そうだとしても、私には海で泳ぐ悠長な時間などない。とにかく歩くのみ。歩くという言葉は「ある苦」というのが語源じゃないだろうか。旅の相棒はカート・二バーン。すると私はこの辛さを超越し、ニルヴァーナ(涅槃)の境地に達するしかない。

 今晩は雨が降りそうなので、キャンプ地には屋根が欲しいところ。名護の町まで歩く予定だったが、許田インターを過ぎた所に高速道路下の広い空き地があった。絶好のポイントだったので移動距離が30kmには達してなかったが、そこを今夜の寝床にした。

 この先の名護市の西にはぽっこり膨らんだ地形があり、本部町(もとぶ)や今帰仁村(なきじん)という町があった。当初の一周ルートはこの海岸線を通っていくつもりだったが、計画を変更してこのまま北上することにした。

 目算で300kmと考えていた沖縄一周だったが、細かく調べるとどうもそれ以上はある。その為、本部町の方を歩いていたらスケジュール的に間に合わない。一周は10日間の予定だが2日間の予備があるので、1日の歩く距離を減らそうと考えた。でなければ体が持ちそうにない。

 相棒であるカート・二バーンの片輪も、2日目にして既に八の字になってる。荷物が重すぎたのか、これじゃコイツもいつ壊れるか分からない。最悪そうなった場合は、バスに乗るかヒッチハイクをするだけだ。旅はそもそも風まかせ。とにかく今日も早々寝て、体を休めるのが先決だ。

[この日の写真]




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