キャンプ仲泊 (那覇〜仲泊) 2010年3月7日


 沖縄滞在は2週間で、これから始める歩き旅は10日間の予定。前後の2日間はのんびりしようと、まずは那覇で有名な国際通りへ向かい安宿に潜り込んだ。
 どこの安宿にも個性的な旅人がいるもの。ここでもそんな連中と話が盛り上がり、二晩続けて泡盛を1本ずつ空け、今朝もまた二日酔いで目覚めた。

 外を見ると雨。初日からツイてない。昨日は3月だというのに夏の様な気温で、那覇市内にある波の上ビーチでは泳いでいた者がいたというのに。
 雨の中を歩く覚悟で朝飯を食べていると、運が向いてきたのか出発時には雨が止んだ。空は曇り空で若干肌寒いが、二日酔いには丁度いい気温。これが昨日の様な気温だったら、最初から歩く気が失せただろう。

 準備も整ったので、重さ20kgくらいの荷物を載せたキャリーカートを引き摺りながら、沖縄一周てくてく旅をスタートさせた。
 今回の旅の相棒であるキャリーカートに名前が必要。私の荷物の番役ということで、こいつを「カート・二バーン」と命名した。

 50分歩いて10分休憩というリズムを基本にし、まずは本島最北端である辺戸岬へ向けて国道58号線をひたすら歩く。
 一周するのに那覇から北上したのは、南部に有名な観光名所がいくつかあったから。それを最後に残しておこうとこのルートを選んだ。

 二日酔いで体がだるく、スタートして1時間もしないうちから旅を辞めたくなった。そんな弱気を必死に抑えながら歩いていくと、路肩に停車していた軽自動車の爺さんに「恩納村まで行くから乗ってきな」と声を掛けられた。
 乗りたいがそれをしてしまうと、この旅の目的がなくなってしまう。その申し出は断って、二日酔いの体に鞭を打つ。

 キャリーカートを引きながら歩道を歩くと、路地の度に道路との段差がある。これが鬱陶しいので、道路が広い所は路肩を歩くようにしていた。
 しばらく歩いていると、後ろからクラクションを鳴らされた。邪魔なのかと振り返ると軽バンが路肩に停車。運転席の女性は助手席のドアを中から開けて、私を手招きしている。これがまた乗車の誘いだった。

 しかも声を掛けてくれたのは、沖縄っぽい顔をした綺麗な奥さん。旅なんてどうでもいいから乗ってしまいたい。そんな気持ちを鎮める為に迷っていると、奥さんは「追い剥ぎとかじゃないから心配ないよ。美浜まで行くから乗ってきな」とまで言う。
 かなり気持ちが揺らいだが、その誘いをどうにか断った。こちらがヒッチハイクしなくとも向こうから止まってくれるなんて、沖縄の人はなんて優しいんだろう。

 昼にはキャンプ瑞慶覧(ずけらん)がある北谷(ちゃたん)に到着。ここまでにもキャンプ・キンザー、普天間基地を目にした。北谷の先にはキャンプ桑江、嘉手納基地があり、あちこちで米軍施設を目にする。

 私が暮らす神奈川県にも米軍施設は多いが、沖縄県内には37ヶ所もあるらしい。日本の米軍基地面積の75%が沖縄にあり、それは県土面積の約11%を占めるという。
 そういえば普天間基地があった宜野湾市ではタレント基地とも言える、安室奈美恵などを輩出したことで有名なアクターズ・スクールもあった。

 嘉手納から先はのどかになり、周辺には自然も増えてきた。二日酔いも治って体も幾分軽くなる。観光地で有名な恩名村にある琉球村に到着したのは16時半頃。
 ここに寄ろうと考えていたが、既に疲れて観光気分などない。それに1日のノルマである30kmの移動を消化するには、もう少し歩かなければならないので、そもそも観光などしている時間がない。

 重い足とキャリーカートを引き摺ってさらに1時間歩くと、「おんなの駅」という地元の産物を売る道の駅があった。ここを今夜の寝床にしようと思ったが、おんなの駅だけに男の私が使えるスペースがない。
 諦めて仲泊の信号に出ると、左手に小さな浜が見えた。もう移動する体力は残ってないので、迷わずその浜にテントを建てた。

 ノルマである30kmを1日に歩くのはかなりしんどい。既に足や腰が悲鳴を上げている。これがこの先9日間も続くと思うと気が重い。
 キャンプ仲泊に滞在した歩兵隊の私は、オリオンビールと泡盛を飲んでそんな気持ちを忘れ、疲れた体を充分に休めようと早々眠りに就いた。

[この日の写真]




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