マザー・ハウス (インド カルカッタ) 2003年5月27日〜6月3日


 世界最古の登山鉄道「トイトレイン」に乗り、ダージリンからカルカッタへと向かった。この鉄道は名の通りおもちゃのようで、スピードは時速10km。自転車にも追い抜かれる程だった。おまけに車両は16人乗りのファーストクラスなのに、なぜか17人乗客がいた。

 終点のNJP駅に到着した時、同じ車両にいた韓国人の女の子と定食屋で飯を食った。トイレに行きたくなったので店員に場所を尋ねると、あっちだと言って外を指差した。行ってみるとそこはただの空き地。つまり野グソをしろって事だった。

 NJP駅からは普通の列車でカルカッタへ移動。涼しいダージリンにいたので、カルカッタは蒸し暑くサウナのようだった。
 今回も以前泊まったパラゴンホテルを宿にした。相変わらず個性的な旅人が集まり、いろんな奴と会話を楽しめた。10日ほど続いた下痢も治ったので、ついつい酒も進んでしまった。

 2度目のカルカッタではマザー・テレサで有名な、マザー・ハウスでのボランティアを経験した。マザーハウスはカルカッタでも数ヶ所あるようだが、訪れたのはカーリー寺院近くの施設。そこは別名「死を待つ人の家」と呼ばれる、重病人や捨てられた老人が集める場所だった。

 そこには50人くらいの病人がいて、ボランティアもけっこう参加していた。やった事は、体を拭いて服を着せてたり、薬をあげたり、食事を配ったり、尿瓶を洗ったりといったもの。
 ボランティアの参加は午前か午後のどちらか。途中には休憩があって参加者にはチャイのサービスがあったと思う。

 この死を待つ人の家のボランティアでは、アンディというドイツ人がリーダー的存在だった。聞いた話では、ここで彼はもう何十年もボランティアしているという。
 施設を作ったマザー・テレサも偉大だが、こうやって無償の愛を与え続けられる彼もまた聖者だ。愛を与えるというより、ここがどんな場所か見たい気持ちで参加した私には、とうてい真似出来ないことだ。

 インドでは貧しい者を頻繁に見掛け、何度もバクシーシ(施し)を求められた。日本円にすれば数ルピーは大した額じゃないので、そこで金を与えることは容易い。だが私は遭えてそれをしてこなかった。中途半端な情はかけない方がいいと思ったからだ。

 このボランティアは2回参加しただけだが、金ではなく行為という形で、僅かながらの手助けはすることが出来たと思う。これはインド旅を締め括るのに、ある意味で相応しい経験だった。




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