紅茶園がもたらした幸せ(インド ダージリン) 2003年5月19日〜27日


 ネパールのジャナクプルから9日間下痢が続いていた。いよいよ病院へ行くか、それともここで糞と心中するか。今まで腹を下す事は何度もあったが、こんな強烈な下痢に襲われたのは初めてだった。

 ここダージリンは紅茶の産地で有名だが、今の私にはティータイムなどというゆとりはなく、ひたすらトイレタイムの繰り返し。
 このままでは便器に飛び込んで自殺しそうなので、気分転換にと紅茶園を見に行くことにした。

 斜面に広がる紅茶畑を下りて工場までいくと、入口の横に小さな売店があった。その前を通りかかると「あんたジャップかい」と、店のおばちゃんが声を掛けてきた。スラングは気にせず紅茶のことでも聞こうと立ち寄ると、おばちゃんは素早く商人に変身。

「紅茶を買うかい」
「買うかいって、売ってるのはこの工場の中でしょ」
「売ってるのはここだけだよ!!」
 どう見てもここは普通の売店で、紅茶なんてどこにも陳列されてない。それに真横は紅茶工場で、中では紅茶を売っているのである。

 疑っている私に気付いたおばちゃんは言葉に信用度を増したかったのか、よく土産屋に置いてある購入者のメッセージが書かれたノートを出してきた。
 確かにノートには世界中からの観光客が残したメッセージが書いてある。流暢な英語を使うおばちゃんは8ヶ国語を話せると言い、片言の日本語も話せた。

 紅茶工場の横で売る紅茶、購入者のメッセージ入りノート、8ヶ国語を操るおばちゃん。この要素だけでも、怪しさは120パーセントを軽く越えている。
 試しに飲むなら1杯10ルピーだと言うので、まだダージリン・ティーを味わっていなかった私は、とりあえずそれだけは信用して飲む事にした。

「葉っぱを入れてお湯を注ぎ、5秒待つだけだよ」
 おばちゃんはその事を強くアピールしてくる。それだけで味が出るのかと疑ったが、その通りに目の前で入れられた紅茶は確かに美味かった。
「100グラム、90ルピーでいいよ。もちろん一番上質のだよ。他の旅行者には120ルピーで売ってるんだからね。あんたには特別だよ」

 私は紅茶を買う気などまったくないでの、そんな勧めをかわして他の話題に切り替えた。おばちゃんはこのままでは獲物を逃がすと思ったのだろう。私の足を引きとめようと、飯にダルスープ(豆のスープ)がかかったおじやを一膳出してきて、食べろと勧めてきた。

 8日間下痢が続いてるので今は食べたくないと断ると、おばちゃんは下痢にはインタクイネンという1錠1ルピーの特効薬があると教えてくれた。私が関心を示すと、近所の人が通りかかったら持ってきて貰うように頼んであげると言った。
 だが近所の人はなかなか現れない。世話好きのおばちゃんはしびれを切らしたのか、客が来たら相手してねと、私に店番をさせて自分で薬を取りに行ってしまった。

 10分程で戻ってきたおばちゃんから5錠を5ルピーで買うと、薬を飲むんだからおじやを食べろと、またしつこく勧めてきた。
 あまりにも執拗なので、このおじやに何か入ってるんじゃないかと疑ったが、食わないと静まりそうもなかったので、無理して食べて薬を飲んだ。

 下痢のときはおじやと2個のゆで卵、それにこのインタクイネンに限ると、おばちゃんは力説していた。話も面白かったし親切にしてくれたので、購入する気はなかった紅茶を200グラム買うことにした。
 多少は値段や量を誤魔化されても構わない。それよりも、この後のおばちゃんの行動が見たいのが本望だった。

 おばちゃんは誤魔化しがないようにねと、これ見よがしに目の前で紅茶の葉を袋に詰めていた。だが8ヶ国語を操るおばちゃんである。この葉は上質だからねと言いながら、ちょっとした隙にしっかりと台の下で違う葉に摩り替えていた。
 思わず突っ込みたくなったが、おばちゃんの親切さも受けていたの騙された振りして、その紅茶を買って帰った。

 翌日、誕生日だった私に素晴らしいプレゼントがあった。おばちゃんから買った薬が功を奏したのか、9日間格闘した下痢が治まったのだ。宗教色が濃いインドやネパールを旅してきて、初めて神様とやらはどこかにいるのかもしれないなと思った瞬間でもあった。
 運気を変えようと訪れたハッピー・ヴァレーがもたらした幸せ。おばちゃんも私から金をいくらか騙し取れてハッピーだったに違いない。 




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