仏陀生誕の地 (ルンビニ) 2003年4月15日


 インドのスノウリから国境を越えネパールへ入った。初めて徒歩で越える国境。出入国の手続きは驚くほど簡単で、荷物のチェックも流れ作業のように安易なもの。これだったら何でも持ち込めてしまうのではないかなと思ったほどだ。
 ここから乗合ジープに乗り4km先のバイワラの町へ向かい、安宿が集まるバンクロードに宿をとった。

 慌しいインドを駆け巡ってきた後にネパールに入ったので、この国の最初の印象は落ち着いた静かな国というものだった。インドのようにしつこく付きまとう物乞いや客引きなどがいないので、特にそう感じたのだろう。

 人々の顔付きも変わってきた。浅黒い肌の色はインド人と似ているが、日本人に似た顔付きをしている者が多い。目にするのがインドのこってり顔から、ネパールのあっさり顔に変わったので、目もたれもする事がなっくなった。

 物価もインドより安いし、宿の近くには酒屋やバーも多くある。インドでは酒屋をいちいち探さなければならないことが常であったが、このネパールではどこの町でも簡単に酒にありつけそうだ。
 食べ物もインドとは大分変わってきた。中でも「モモ」という蒸餃子が口に合う。インドではカレー三昧の日々だったので、ただの餃子でもえらく美味しく思えた。

 仏陀生誕の地のルンビニまでは、バイワラの町からバスで1時間。仏教の開祖である仏陀ことゴーダマ・シッダルタは、2500年前にこの地で生まれた。
 釈迦族の王子として裕福な生活を送っていたが29歳で出家し、35歳で正覚(覚り)を開いて仏陀(覚者)となった。

 町にはルンビニ聖園というものがり、聖園は南から聖園地区、寺院地区、新ルンビニ村の3つに分けられている。仏陀の生誕地は聖園地区の中心にある菩提樹の所だった。

 菩提樹には、青、赤、白、緑、黄の五色の小さな旗が沢山掛けられていた。これはチベット仏教でタルチョと呼ばれるもので、旗にはルンタと呼ばれる馬の絵や、神仏に捧げるお祈りの呪文、仏教の経文などが刷られている。
 仏像が祀られている菩提樹の根元には小さな隙間があり、走り回る子供たちがそこを潜り抜けて遊んでいた。

 インドのブッダガヤなどと同じように、このルンビニにもアジア各国の寺がある。聖園地区から4km先の寺院地区にある日本寺を見に行こうと、畦道を散歩がてらのんびりと歩いた。

 途中には土管を積み重ねたようなデザインをしたブッダ・ミュージアムがあったが、残念な事にこの日は休館日で中を見学することは出来なかった。
 日本寺は寺といっても日本にある寺とは造りはまるで違い、チベット風の建築様式のパゴタ。真っ白いこのパゴタは田園風景の中で、一際存在感を浮きただせていた。

 しつこいリキシャの客引きもいなく田舎町をのんびりと散歩でき、久しぶりにのどかな日を過ごせた。まだネパールに入って1日目だったが、インドとの違いを方々で感じられた。
 ここまで静かだと逆にあのインドの喧騒が恋しくもなるほどだ。仏陀生誕の地ルンビニは、仏教の精神世界のように静かな場所だった。




Copyright (C) 2019 諸行無常 All Rights Reserved