仏陀入滅の地 (クシーナガル) 2003年4月10日〜12日


 バラナシから乗った列車は夜9時半にデオリヤ駅に到着。クシーナガル行きのバスはすでに運行しておらず、駅前のホテルへ行ったが満室。
 ここからクシーナガルまでは約35km。他に泊まる所もなさそうなので、リキシャと250ルピーで交渉し、外灯がまったくない田舎道を一時間走ってクシーナガルに向かった。

 ここは仏陀が最後に説法した地で、入滅の地でもある。ホテルなどの宿泊施設もあるが、アジア各国の寺に寄付という料金で泊まれたので、近くにあった韓国寺に泊めてもらう事にした。

 寺の主は28歳と若い坊主頭のインド人。5ヵ国語を操るという話好きな坊主の口から出てきたのは、本当の仕事はガイドで、昔はドラッグの売人もしており、2年前に捕まった事があるという経歴。これを聞いて以来、私はこの坊主に威厳を感じられず、ペテンとしか見られなくなった。

 案内された部屋はベッドが三つある広い部屋で、隣には広い浴槽もあった。もちろん湯ではなく水だが、久々に足を伸ばして入る浴槽は、バラナシからの移動の疲れを癒してくれた。

 仏陀が焼かれたという火葬場では、地元の暇なインド人たちに付きまとわれた。そこで自分の写真を撮ってくれと、しつこく言い寄ってくるオッサンがいた。私と連れが断り続けているのを見ていた若い男が、オッサンに止めろと仲裁に入ってきた。

 しかし、この事が原因で二人は言い合いになり、最後には取っ組み合いの喧嘩。その騒ぎは火葬場前の小さな市場にいた全員が注目。終いには近くにいた警官が喧嘩の仲裁に入るまでの騒ぎになった。
 私と連れは揉め事の原因が自分たちなので、面倒な事に巻き込まれては困ると、警官がやって来た時に知らぬ素振りをしてそそくさとその場を立ち去った。

 仏陀入滅の地である涅槃堂。建物の中は何も飾り付けのない質素な部屋で、布が掛けられた仏陀の涅槃像が横たわっていた。
 この村では物乞いをほとんど見かけず、金をくれと寄ってくる子供もいなかった。仏教の内なる精神世界のように、仏陀の聖地はどこを訪れても静かで心地よい場所だ。

 ブッダガヤでも聞いたが、クシーナガルにもオウム真理教の麻原彰晃が、一行を引き連れてやって来たという。ペテン坊主は彼が何者かは知らなかったので「あいつは一体何者なんだ。マフィアか」と聞いてきた。
 ともて宗教団体の代表とは思えなかったのだろう。彼についての説明をしてあげると、ペテン坊主は納得していた。

 私たちが寺を去る時に、ペテン坊主は宿泊客が住所や名前を記入するノートを持ってきた。そして、宿泊料は寄付だが、誰もがこの位の額は寄付してくれてると、金額が記されたページを見せてきた。
 さりげなく告げてくるその表情には、言っている事の意味が分かるよなという笑みが浮かんでいた。まったくこのペテン坊主は、どこまでも人間臭い奴であった。




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