閉ざされた国 (ヤンゴン) |
2003年6月29日〜7月2日 |
ミャンマーで最もポピュラーな料理のひとつに、「モヒンガ」と呼ばれるものがある。主に朝食として食べられるもので、そうめんのような麺に魚醤や味の素、ナマズのスープ等で作ったスープをかけて、好みにより卵やうり、とうもろこしの揚げたものを乗せて食べる。このモヒンガで朝食を済ませ、近郊の町トワンテへ向かった。
宿の南には対岸のダラへ渡るフェリー乗り場があった。地元人は10チャットで乗れるフェリーだが、外国人料金は1FECと90倍も違う。ぼったくりフェリーでダラに渡り、そこから乗合ジープで壷作りで有名な町のトワンテに到着した。
ミャンマーの自転車タクシーはサイカーといい、横に付いた補助席が客の乗る場所。名前の由来はおそらく英語のサイドカーだろう。
このサイカーに乗り、壷作りをする家やシュエサンド−・パゴダを見学。壷作りは大して見応えはなかった。それよりも、パゴダで一緒に来たサイカーの運ちゃんが熱心に祈る姿の方が印象に残っている。
植民地時代にイギリス人によって作られたボージョー・アウンサン・マーケットは、土産物から雑貨、宝石、衣類、日常品など生鮮食料品以外はなんでも揃っているヤンゴン最大の市場。
中を一通り見てみたが、とりわけ足を止めるようなものはなかった。ここよりも、食品や雑貨などを扱う庶民の市場であるミンガラー・マーケットの方が、見て回るには数倍も面白いと思える。
バングラデシュで女をあまり見掛けなかったせいか、ヤンゴンの町には女が溢れているように感じた。頬にはタナカという黄色い化粧品で、ラインの模様が書かれている。
中には落書でもされたのかと思う者や、顔色が悪く見えて病人と思えるような女もいた。このタナカは女に限らず、男や子供などもやっているようだ。
それと、男女共にロンジ−という巻きスカートの民族衣装をはいており、とんがった帽子を被る者もいた。
町では日本の中古車が多く目に付き、市内を走るバスもデザインをそのまま使用してるものがあり、見覚えがあるのもあった。
ヤンゴン市内にはミャンマー最大のシュエダゴン・パゴダもあった。64の小パゴダに取り囲まれる中央の仏塔の高さは100m。仏塔の周囲には大理石を敷いた広大な空間が広がり、大小様々な仏塔と仏像がある。
パゴダに入るには5FECが必要だった。パゴダ内の様子はスーレー・パゴダで充分見ていたので、ここは外観だけ眺めた。
市内のトレイダーズ・ホテルでメールをしようと思ったのだが、ヤフーやホットメールといったフリーメールは使用出来ないと言われた。受付の女の子が「DAGON マーケット」のサイバー・カフェなら可能かもしれないと言うので、そこへ行ってみた。
「DAGON マーケット」は、若者が大勢いる洒落たショッピング・モール。広いスペースのサイバー・カフェだったが、そこでも同様にフリーメールを使用することが出来なかった。
どうやら、フリーメールの使用は政府がアクセス制限をしているようだ。こればかりはどうしようもないので、この国にいる間はメールは諦めることにした。
使えないFECへの強制両替、開いていない陸の国境、このような事ではあまり感じなかったが、フリーメール使用の制限があるのを知った時、この国は閉ざされているのだと実感し、カルチャーショックを覚えた。