六合目からアタック 2012年7月6日

所要:11時間 距離:10km

 5:30 空き地
 5:50 笹垢離跡の不動明王
 6:30 横渡
 7:45 富士山休養自然歩道
 8:10 旧三合目石室跡
 8:35 六合目
 9:25 新七合目
10:10 元祖七合目
10:50 八合目
11:45 九合目


12:35 九合五勺
13:15 浅間大社奥宮
13:40 九合五勺
14:00 九合目
14:20 八合目
14:40 元祖七合目
15:00 新七合目
15:30 六合目(50分休憩)
16:30 旧三合目石室跡




 昨晩も雨が降ったが朝には止む。天気もまた曇り。まだまだひたすら登らなければならないので、太陽は出てくれない方がいい。キャンプしたこの地点を携帯で調べると標高は1700m。あと半分といったところだ。
 当初の計画では頂上まで重荷を背負ったまま登り、吉田口から下山して五合目の佐藤小屋でキャンプするつもりだったが、腰を悪くしそうなので変更することにした。

 今日はとりあえず、昨日キャンプを予定していた旧三合目石室跡まで上がる。時間が早ければ荷物を残して軽装で頂上へアタックし、同じ場所に戻ってくる。
 もしくは、そこで今日は早々に休息し、頂上へのアタックは翌日に。だが、天気予報では明日の昼から天気が崩れるとの事だったので、出来れば今日中に頂上を踏みたい。

 とにかく、旧三合目石室跡を目指して出発。前方に見える富士山頂も大分低くなってきた。しばらく歩くと、4体の石像がある笹垢離跡の不動明王に到着。この辺りは倒木が多く、木の幹だけが残る焼け野原のような場所だった。
 この先の横渡しで縦に伸びる溝の左側へ移る。ここからも倒木が酷く、かなり太い木が道を遮る箇所がいくつもあった。それをくぐったり乗り越えたりしながら進んでいく。

 倒木地帯を抜けてしばらくすると、富士山休養自然歩道に出た。地図上ではこの辺りに石室跡があるはずだが、それを示す標識はない。
 そのまま少し上がってみると、3畳ほどの広さの平地があった。もしかするとこれが旧三合目石室跡かもしれない。さらに進むと木々が少なくなり、地面がガレ場になってきた。

 六合目の下はガレ場と地図にも書いてあるので、もうこの上に違いない。時計を見ると8時。今から頂上に上がっても、夕方には戻ってこれる。そこで旧三合目石室跡と思われる場所に戻り、テントを張って必要なもの以外を残して出発。
 ガレ場から少し進むと前方の視界が開け、上に六合目の宝永山荘が見えた。やはり読んだ通り。しかも、六合目までたった10分で到着した。

 村山古道はここで終了。ここからは富士宮ルートで頂上へアタック。軽くなったバッグパックの中身は水と食料と服だけなので、めちゃくちゃ体が軽い。痛んでいたのは肩や腰だけ。膝や足は問題ないので快調に登っていく。

 体は良好だが天候が悪化。風がかなり強くて寒く、頂上付近も雲に覆われている。寒いことは分かっていたが、この風は予想外。持ってきたのはウインドブレーカーの上下だけ。Tシャツと半ズボンの上にそれを着込んだが、それでも真冬のように寒い。

 早くも下山してくる人に状況を聞くと、上はもっと寒いとのこと。簡易合羽でもあれば大分違うだろうが、六合目より上の山小屋は、まだどこも開いてないので買うことは出来ない。
 八合目まで上がるとさらに寒くなった。気温はそれ程低くないのだろうが、強風のせいで体感温度は0度くらい。この先からは雪も多く残り、この薄着のまま登っていくのは、もはや無謀に思えた。

 前回に0合目から頂上まで登った時は、短パンとTシャツに軽い上着だけだった。だが、それは8月の初めで天気の良い日。1ヶ月違うだけでこんなにも世界が変わるのか。正直なところ、富士山を少々舐めていた。
 ここまで来たが、今日はもう諦めて下山するしかない。六合目に戻れば小屋が開いてるので、合羽を買って翌日にもう一度アタックするのが良さそうだ。

 そう考えたがここまで来てるのでなかなか諦めが付かず、八合目の小屋の壁で腰を下ろして風から逃れていた。
 すると下から2人組の登山者がやって来て、この先の小屋は開いてないかと声を掛けてきた。開いてない事は私も別の人に聞いていたので、その事を告げ、ついでにここまでの経緯を話した。

 すると何てことか、2人組の1人が合羽を2着持っており、貸してくれるという。まだまだ富士山の神は私を見捨ててなかったようである。
 合羽を着ただけで寒さが驚くように違う。手袋はなかったが、これくらいは我慢できる。とにかく引き返す必要がなくなった事が嬉しい。京都から来たというその2人組は、おそらく富士信仰の教徒に違いない。

 その2人と一緒に八合目から頂上を目指す。上がるに連れて風はさらに強くなり、辺りは雪景色に。標高の低い場所から頂上を見た時は、それ程雪が残ってるように思わなかったが、実際に来てみるとけっこうの量が残っていた。

 下山してくる人たちに頂上まで行ったかを尋ねると、多くの人が風の強さと残雪を理由に、九合五勺から引き返していた。調べていた情報では、そこから上はブルドーザー道を進めば頂上に行けるはずだった。

 そのブルドーザー道でも、風が強くて飛ばされそうになったと、引き返してきた人がいた。登山道には雪が残るが、ロープがあるのでどうにか登れるという人もいた。私たちはせっかくここまで来たのだからと、様子を伺いながら登山道で頂上を目指すことにした。

 大抵はロープがあたったので、雪の上で風が強くても何とか登れた。一ヶ所だけロープがない雪の上を20m位歩く危険箇所があったが、ゆっくり登ればアイゼンなしでも平気だった。

 そうやってどうにか頂上の浅間神社奥宮に到着し、ついに海抜0mから3776mまで登りきった。標高で言えば本当のピークは少し上の剣ヶ峰だが、まあここも頂上のようなものだ。天候も変わらず悪かったので、私たちはお鉢巡りはせずにすぐ下山した。

 しばらくすると、霙が降ったり霧雨が降ったりとさらに天気が悪化。すぐに下山したのも正解だった。ロープがない危険箇所は慎重に進み、その後は順調に下りて六合目まで3時間で戻った。
 京都から来た2人は五合目に車を置いてるので、ここで別れることに。合羽のお礼をしなければと、山小屋で「富士山きのこ茶」を買い、それを受け取ってもらった。

 五合目から富士宮駅行きのバスはまだ便数が少なく、11時半と18時の2本しかなかった。まだ16時だったので18時の便に乗れたが、六合目の山小屋でビールを飲んでまったりモードになっていたので、今日は下に張ってあるテントでゆっくりしていくことに。小屋で酒・焼酎と水を補給し、その後テントに戻ってささやかな宴を上げた。

 山小屋で買えるこういった物資は、今ではブルドーザーで運搬しているようだが、かつては「強力」と呼ばれる者たちが運んでいたという。時には100kgにもなる荷物を背負って登頂したというのだから、まさに名の通り強力だ。
 私は20kg位の荷物を背負いながら、海から六合目の下まで登ってきた。強力にはとても及ばないが、中力くらいの称号は与えて貰ってもいいだろう。




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