ルーマニア(65国目) 2019年4月6日


 ブルガリアのソフィアからルーマニアの首都ブカレストへはバスで7時間。現在は共和制のルーマニアだが、旧ルーマニア王家には特別の地位が与えられており、共和制と君主制の折衷という特異な国家体制を採っている。

 それまでには、ソ連に占領された圧力で共産化して王制を廃止。そして、チャウシェスクの独裁政権で一国共産主義に。それも、ルーマニア革命によって打倒されて民主化し、現在はEU加盟国という歴史。

 宗教はキリスト教正教会の一派である、ルーマニア正教会が8割。EUに加盟しているが通貨は独自のレイ。物価は日本に比べると半分程度でヨーロッパでも安い。

 数年前までは野犬被害が深刻な問題で、人が噛まれて死亡した事件など頻発。だが、現在は野犬の安楽死を可能とする法案が成立し、昔より状況は改善しているらしい。
 その他には交通事故やぼったくりタクシーも多く、東欧諸国の中でも治安が悪いことでも有名。それは物価の安さがもたらす要素だろう。

 ルーマニアと言えば当時14歳だったナディア・コマネチが、1976年のモントリオール・オリンピックで「段違い平行棒」と「平均台」の演技で、オリンピック史上初の10点満点を出したことも有名。

 その国民的ヒロインは独裁者チャウシェスクの息子から、毎晩のように夜の街へ誘われて愛人関係になることを強いられた。当時のルーマニア国民にチャウシェスク家に逆らえる人間など一人もいない。
 身も心もボロボロになったコマネチは、命からがらオーストリア経由で革命の1ヶ月前にアメリカへ亡命し、その圧力から逃れたという。

 悪魔やホラーで有名な「吸血鬼ドラキュラ」は、この国にかつていたヴラド3世がモデル。そもそも吸血鬼はフィクションで、これはイギリス人の小説家ブラム・ストーカーが書いた「ドラキュラ」がきっかけ。

 当時は敵や重罪を犯した者は、死刑が当たり前で斬首が多かった。ヴラド3世は威厳を明確にするために、さらに厳しい串刺しの処刑を敢行。
 捕らえた敵兵士だけでなく地元住民も同様の処刑をしていたので、「串刺し公」と言われたほど残忍であったとの記録から、フィクションの吸血鬼が生まれたようだ。

 それはともかく首都ブカレストでは、旧呼称の国民の館と呼ばれる「議事堂宮殿」、趣のある建造物が立ち並ぶ石畳の旧市街「チェントル・ベキ」、
 ルーマニア革命の舞台となった広場「ピャツッァ・レボルツィエイ」、ブカレスト市民の衣食の台所「ピアツァ・オボル」などを観光。

 ブカレストからは列車で2時間半の第2の都市プラショフへ。かつて植民地化されてドイツの影響を受けてきたこの町では、中心地の「スファトゥルイ広場」、ルーマニア最大の「黒の教会」、ロープウェイで山頂まで行ける「トゥンパ山」などを観光。

 ここから世界遺産の町シギショアラへは、バスで2時間なので日帰り観光。ドラキュラのモデルとなったヴラド公が建設した「ブラン城」や、現在はレストランになっている彼の生家、
 それとシンボルの「時計塔」や、中世の面影が残りカラフルな家が立ち並ぶ「旧市街」などを散策。

 プラショフからティミショアラへはバスで7時間。ここではシンボルである「三成聖者大聖堂」、ルーマニア革命の発端となる民衆蜂起が起きた「勝利広場」などを観光しよう、と妄想はここまで。

 さて、今回実際に訪れたのは東京都墨田区江東橋にある「ラミハイ」。ルーマニア料理は素材を生かしたものが多く、隣国に比べるとトルコ料理の影響が比較的少ないのが特徴。

 注文したのは代表的な料理の「ミティティ」。これはスパイス類を混ぜ込んだ肉団子で、トルコのキョフテやセルビア等のチェバブチチと似たもの。違う点はマスタードを付けて食べる所だろうか。

 もう一品はルーマニアが発祥の名物デザート「パパナッシュ」。これはチーズが練り込まれた生地のドーナツに、サワークリームとフルーツソースが添えられたもの。
 揚げたてのドーナツの上に冷たいクリームが乗っているので、温と冷を同時に楽しめるのも特徴的。店内に飾られた民族衣装や、テレビで流されていた現地のドラマもあり、ルーマニア気分をさらに堪能できた。

[この日の写真]



 

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