パキスタン(10国目) 2018年11月11日


 インドのアムリトサルから国境のアターリーまではバスで1時間。この国境では「フラッグセレモニー」という、お祭り騒ぎのような国境閉鎖式が毎日行われている。出国する前にアムリトサルから日帰りで訪れることに。
 次に向かうパキスタンはインドとは仲が悪いので、インド国内でパキスタンビザを取るのは現状不可能。なので、パキスタンビザはネパールで取得しといた。

 パキスタンは共和制のイスラム教国。イギリスの植民地支配からインドと共に分離独立。当初はインドを挟んで東西に分かれた飛び地国家だったが、東パキスタンはその後バングラデシュとして独立した。
 通貨はパキスタン・ルピーで、物価は日本の4分の1。治安はあまり良いとはいえないのが現状で、パキスタン全土にテロや誘拐の危険がある。

 パキスタン側の国境ワガからラホールへはバスで1時間。ここにはムガル帝国時代の建築物が多く保存されてるので、それらを巡って歴史を感じることにしよう。
 ラホールからはバスで4時間移動してラーワルピンディーへ。北に隣接する首都イスラマバードは宿泊料が高いので、ラーワルピンディーに滞在した方がいいようだ。

 次に向かうイランのビザをイスラマバードで取得するのだが、最低でも10日以上かかるとの話。なのでその時間を利用して、北部の秘境フンザを目指す。
 まずはラーワルピンディーからギルギットへバスで17時間。さらにそこからフンザまではバスで4時間。6000m級の山に囲まれたフンザは桃源郷で、宮崎駿の代表作「風の谷のナウシカ」のモデルとなった事でも有名。

 のんびりと滞在して再びラーワルピンディーへ戻り、イスラマバードでイランビザを取得したら次へ移動。ここから西へ向かえばアフガニスタンの首都カブールへと向かえるのだが、この国の旅行は未だ危険度マックス。
 それに現在パキスタンからは、空路のみの入国しか認められてない。北に隣接するウズベキスタンからなら陸路で可能のようだ。

 古くから「文明の十字路」として栄え、シルクロードの拠点として発展したアフガニスタン。9.11のアメリカ同時多発テロから始まった紛争はまだ終わってない。
 わざわざ危険な地に足を踏み入れるのも自殺行為なので、イスラマバードからはイラン国内を進み、バスで8時間移動してムルターンへ。

 パキスタン中心部に位置するムルターンは歴史が長く、美しい街並みとイスラム教の聖者廟が数多くあることで有名。ムルターンからはバスで8時間移動してサッカルへ。ここからラルカナへ日帰りで訪れ、インダス文明最大級の都市遺跡のモヘンジョダロを観光。

 サッカルからはバスで12時間移動してクエッタへ。ここはメロンなどの豊かな産地で「パキスタンの果樹園」として有名。これといった観光名所はないようなので、メロンでも食べてビタミンを補給。

 クエッタから国境の町タフタンまではバスで13時間。ベトナムからここパキスタンまで、アジアの10ヵ国を経由してきた。ここからはイランへと入国し、中東の国々を巡っていく、と妄想はここまで。

 さて、今回実際に訪れたのは、埼玉県八潮市にある「カラチの空」。八潮市はパキスタン人が多く住み、通称「ヤシオスタン」とも呼ばれている。
 パキスタン人が多く住む理由は、八潮で中古車販売が盛んなためだ。多くのパキスタン人が中古車輸出業に関わっており、日本の中古輸出は彼らが牛耳っているとの話も。

 パキスタンの食事はロティ(パン)とチャワル(米)、サブジ(野菜)、ゴシュト(肉)が四大要素。肉はイスラムの戒律で豚肉は決して食べず、ハラールのチキン、羊、牛を使用する。
 注文したのは代表的な料理のハリーム。これはレンズ豆と肉を5時間以上かけて煮込んだもの。それにプレーンのナンも頼んだ。

 ハリームは粘り気があり日本のカレーみたいな感じだが独特の味。付け合わせの青唐辛子、レモン、生姜、フライドオニオンを加えながら食べると、また一味違ったアクセント。
 店内にはアラビア文字が刺繍された布や、ド派手な飾り付けがされたトラックの写真に加え、タモリ倶楽部で紹介された時の写真も飾られていた。

[この日の写真]




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