高野山は修行の場 (和歌山) 2009年1月1日


 高野山の金剛峯寺の駐車場で2009年を迎えた。車の中で早朝に目覚めて驚いたのは、辺り一面が雪景色で真っ白になってたこと。昨晩ぱらついていた雪はすぐに止むだろうと思っていたが、夜中降り続いて10cmも積もっていた。
 まばらだった駐車場も満車になっており、初詣をする客で賑わっていた。大型バスでやって来ていたツアーの団体客がいたので、それと一緒になって奥の院へと向かった。

 団体客は関東からの人間だったが、ガイドを務めていたのが関西人のオヤジ。ギャグを交えた巧みな話術は、さすがだなと感心させられる。高野山には古い寺があるだけと思っていたが、ガイドの話を聞くと、ここは山を含めた全てが墓地である事が分かった。

 墓に眠る人間がまた凄かった。親鸞や道元、織田信長、豊臣秀吉、他にも数々の藩主といった歴史的な人物の墓から、シャープやキリンビール、福助、ヤクルトなどの一流企業の社長の墓もあった。
 形もユニークでロケットがあったり福助がいたりと様々。中には日本で一番高価な石である香川県の庵治石を使用した、面積100坪の総費用1億円なんていう墓もあった。

 墓の形の歴史を見て回れる墓地でもあり、鳥居がある古い墓や、現在の墓石の原型である5段重ねの石の墓などもあった。この石には穴が空いており、そこに木の棒を入れて担いで運んだという。

 墓地によくある卒塔婆の古い形は角材だったらしい。高野山は四国八十八箇所を巡るお遍路のお礼参りの地でもあるが、そのお遍路が持つ杖にも墓石の意味があるという。
 険しい山道を1300kmも歩くお遍路は道中でいつ死んでもいいように、死者が身に纏う白い衣装を着て、もし死んだ時に墓石代わりになる杖を持っているのだという。

 関西人のガイドが彼岸と盆の違いを説明していた。彼岸の時は先祖の霊は墓参りに行かなくても、いつでも帰ってこれるのだが、盆の時は呼び寄せてやらないと帰って来れないのだという。だから盆の墓参りが重要なのだそうだ。

 一時テレビに頻出していた某占い師のエピソードも話していた。その占い師は、女は神社や寺で手を叩いてはいけないとか、墓石に水を掛けたらいけないとかを言ったらしく、その事で宗教関係者やマスコミからバッシングを喰らい、芸能界を引退する羽目になったのだとか。

 高野山は金持ちや有名人の墓地といった感じで少々拍子抜けしたが、空海が眠る奥の院は写真撮影が禁止で、熱心にお経を唱える信者の姿があり、厳粛な空気が流れていた。中には白い衣装を着たお遍路の姿もあった。
 私は数年前に四国八十八箇所を自転車で巡ったことがある。八十八箇所巡りは最後に高野山を訪れて完結する。なので私の遍路旅もようやく完結したことになる。

 次なる目的地へ移動しなければと車のトランクを見たが、チェーンが入ってなかった。だが、旅の日数は限られているので、ここで待機するわけにはいかない。仕方なく覚悟を決めて走り出した。

 フラットな道を走るならまだしもここは山。これからは下り坂のワインディング・ロードなので、スリップする危険度は200%だ。
 カーブでブレーキを踏むのは危ないので、時速1、20kmで下りながら、カーブの手前は対向車が来ない時を見計らって走った。それでもスリップしてハンドルを取られ、ガードレールや対向車に何度もぶつかりそうになった。

 冷や汗を掻きながら走っていくと、山の中腹で雪が止んだ。そこから道路の凍結もなくなり、ようやく危険地帯から脱出した。運悪く大事故が起きていたら、本当にこの山に眠ることになっただろう。まあ貧乏旅行者の私には、そもそもそんな財産はないが。
 墓地でもある修行道場の高野山は、寒さといい危険な雪道といい、まさに修行の場だった。お礼参りに来て、違う形のお礼参りに遭わなくて本当に良かった。




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