日本の原点 (和歌山) 2008年12月31日


 寝床に利用した道の駅紀伊長島マンボウでは、マンボウのから揚げを売る屋台があった。場所の名前になったり、から揚げになってたりするくらいなので、この辺りでマンボウが捕れるのだろう。

 ここは観光案内所も兼ねており、熊野古道の情報が多くあった。それによると、紀北町には5つの世界遺産の峠があるようだ。原生林の太古の森の中を歩けそうだったが、どこもハイキングコースなので車があると面倒。古道は諦めて国道42号線をひたすら南下し、目的地の熊野神社を目指した。

 雰囲気のある七里御浜海岸や、獅子の形をした獅子岩などを眺めながら熊野新宮へ到着。樹齢1000年のナギの大木や、干支を描いた巨大な絵馬などがあった新宮。日本が神社信仰に変わってゆく頃からあるこの神社は、やはり威厳と風格を感じさせる。

 近くにあった「めはりや」で、この土地で有名なめはり寿司とさんま寿司の定食を食べた。寿司の原点という高菜の葉を巻いためはり寿司は、シンプルだが美味い一品。
 元は漁師の弁当だったというこの寿司は、竿を持つ片手が使えない漁師が、漬物とご飯を同時に食べられるという便利さから生まれたようだ。

 新宮からミカンロードを走りながら丸山千枚田を目指す。ここは高低差100mの斜面に1340枚の稲田が並ぶ広大な棚田。展望台から壮大な緑の景色が見れるだろうと想像していたが、今が冬であるということを忘れていた。
 景色はもちろん壮観だったが、やはり水が張ってなく枯れ果てた田は生命感がない。夏ならもっと素晴らしい眺めになるだろう。

 棚田は車で走る抜けることができたので、巨大な岩がある中央部まで行ってみた。そこには棚田についての説明書きもあった。
 それによると、農作人の老巧化や広すぎる土地、過酷な作業といった点から、今ではこの棚田の存続は危ぶまれているようだ。

 さらに山道を走り熊野本宮へ到着。本宮は新宮よりも古い趣で、歴史の重みを感じさせる外観。神社のシンボルは八咫烏(ヤタガラス)というもので、日本サッカー協会のシンボルにも使われている。
 入口には「蘇る日本の心」や「人生の出発の地」と書かれた垂れ幕が掲げられていた。文化を守れということが神社からも発信されているようだ。

 綺麗な玉砂利が敷き詰められたような熊野川沿いを走りながら、一汗流しに近くの川湯温泉を目指す。ここは河原を掘ると即露天風呂になる場所で、11月から2月の間は大露天風呂の「仙人風呂」が作られる。
 そのはプールのように広いもので、多くの者が水着を着て風呂に入っていた。真横は川で周辺の景色は自然そのもの。ましてや無料なのだから、満足は一際大きいものだ。

 今日中に次なる目的地の高野山へ向かおうと、国道168号線を北上。この周辺は本当に山深いところで、日本の原風景のような場所ばかり。歩いてる人間も見掛けず、おまけに車も走ってない。
 この日が大晦日だという事も理由だったのだろう。通過した十津川村もローカル度120%で、閉塞感すら感じる程だった。

 途中から走った高野山へと抜ける林道は、雪が残って路面も凍結気味。高野山の金剛峯寺の駐車場に到着した頃には、雪がぱらつき始めた。
 近畿は暖かいと思っていたが想像以上に寒い。持っている寝袋も夏用なので、車の中といえ夜はめちゃくちゃ冷える。今日は様々なところで日本の原点的なものに触れたが、私の旅の用意も減点のようだった。




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