訪れた事のない紀伊半島を巡ってみようと、正月休みを利用して出掛けることにした。貧乏旅行者にとっては数日の旅行でも、宿泊費は大きな痛手。夏ならば迷うことなくテントで寝泊りするが、冬の季節にそれをするのは寒い。
そこで今回の旅は移動が車という事を利用して、宿泊は車内ですることにした。車を停めて寝る場所には、道の駅という好都合な無料のパーキングがある。というわけで、寝袋とアウトドアの調理道具などを荷物に詰め込み、紀伊半島へと旅立った。
巡るルートは三重、和歌山、奈良、京都で、旅の日数は5日間。各県で観光するメインをピックアップし、それを点で結んでいった。
まず訪れた三重でのメイン観光は、伊勢志摩半島の的矢湾に浮かぶ渡鹿野島。周囲約4kmしかない小さなその島に来た理由は、ここが売春島として有名だからだ。
置屋街なら大抵どこの国にもあるが、島にその名が付いてる場所は珍しい。こういうところは実際に訪れてみなければならないのだ。だが目的は女を買うことでなく、あくまでも観光だ・・・。
渡鹿野島は江戸時代から売春の島として有名だったようで、女護ヶ島という別名を持っていたという。ここが遊郭街として栄えた理由は、当時に江戸と大坂を連絡する船が増えた事が始まり。
島の港は船の避難や風待に利用され、人の往来が増えていく。そこで、船乗りなどのための宿が建ち、風待ちの船乗りを相手する、把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女などが集まったというわけだ。
島への上陸は渡し船。対岸の駐車場に車を停めて金を払っていると、管理人のおやじが「兄ちゃん、女買いに行くんかい」と聞いてきた。こんなところでいきなりそんな事を聞かれるとは驚きだ。この事からも、島へ渡る者の大半の目的が「女」という事を物語ってる。
島へ渡ると今度はおばちゃんが近寄ってきて「女の子見てみるか」と質問をしてきた。おそらくおやじから既に連絡が入っていたのだろう。島を観光したいんだと話をはぐらかしていると、おばちゃんが案内してあげると一緒について来た。
船着場には大きな旅館が2つあり、その後ろに20m程のメイン通りがあった。そこには喫茶店、スナックなどが並んでいたが、昼間だったのでどこも閑散としていた。おそらく客が集う夜には賑わうのだろう。
案内してくれているおばちゃんにどこか見所はないかと聞くと、路地の奥にある八重垣神社を案内してくれた。この神社の神様は犬が嫌いだという。
しかし、最近は島でも犬を飼う家が増えているし、神体を祭る本宮にも土足であがる人間がいて困るとおばちゃんは嘆いていた。
神社では毎年7月23日、24日にサセサセ祭りがあるらしく、そのときは島民全員で盛り上がるそうだ。その「サセサセ」とはどういう意味なのかおばちゃんに何度も聞いたのだが、話を聞いてないのか秘密なのか、まったく答えてくれない。
連れて行かれたアパートの前で代わりに答えてきたのは、「ここで女の子たちが暮らしている」ということ。おばちゃんの頭の中は質問よりも、斡旋のことで一杯だったようだ。
「女の子を見てみるか」としつこく聞いてくるので、試しに見てみようと了解した。おばちゃんはアパートの部屋に女が起きてるかを確認しに行ったが、その女は寝起きでまだ準備が出来ていなかった。
大体おばちゃんが売春を斡旋してるのも可笑しな話だし、今はまだ昼間なのだ。さすがは売春島だと一人納得しながら、携帯で何人かの女に連絡をするおばちゃんと共に別のアパートへ向かった。
その部屋から女が出てくるのかと思えば、歩いてきた道からアジア顔した女が一人やってきた。女は日本語がペラペラで、変なアクセントもなく流暢。どこから来たのと質問すると「東京」と答えてきた。私は国を聞きたかったのだが、それ以上は詮索しなかった。
料金は一晩で4万、ショート(2時間)なら2万。おばちゃんは「想い出に遊んでいきな」とさんざん勧めてくる。アジア顔の女はタイプじゃなかったので他にはいないのかと聞くと、おばちゃんは別の場所で今度は日本人の女を紹介してきた。そこでも「遊んでいけ」とさんざん勧めてくるので、どうにか断って港へと戻った。という事にしておこう。
島を散策していれば、商売女の素の生活風景などを見れると思ったが、人すらあまり見掛けなかった。代わりに何度も目にしたのは「歩きタバコ禁止」という看板。売春は半ば平然と行われているのに、歩きタバコが駄目だというのも妙なバランスだ。
パールビーチという人工的な海岸の周辺には、潰れたホテルや旅館がそのまま残っていた。渡鹿野島が最盛期だったのは昭和40年〜50年代あたり。
当時は商売も繁盛で活気があり、風呂なしアパートの家賃も安かったようだが、今では借り手がいないとのこと。この島が売春で成り立っていることを、いろんなことが物語っていた。
帰りの渡し船で気になっていた「サセサセ」の意味を運転手に聞いてみた。おばちゃんのように答えてくれないかと思ったが、運転手は即答してくれた。
それは祭りで担ぐ神輿の掛け声で「ワッショイ」と同じ意味だという。話を聞けなかったら言葉のニュアンスで、乱交祭りと決めつけていただろう。
渡鹿野島に流れてくる女たちには、それぞれに事情があるのだろう。その女たちに情事を求め、男たちも方々から流れてくる。江戸の頃から続くこういった文化が残るこの島は、世界文化遺産に値するように思える。
そんな渡鹿野島では「アワビ」を堪能したので、おかわりに的矢名物のカキを味わおうと、次なる目的地へと移動した。