ジャワ島からバリ島へ (チェモロラワン) 2007年4月18日


 ブロモ山の登山を終え朝9時にチェモロラワンを発ち、10時頃プロボリンゴにある小さなツアー会社に到着。予定では30分後にここで大型バスに乗り換えてバリ島へ向かうはずだったが、いくら待ってもバスがなかなかやって来ない。
 ツアー会社の人間に理由を聞くと、バスはジャカルタのスラバヤで渋滞にはまっているとのことだった。

 バスを待っている間は、ツアー会社の連中やそこにいた高校生の若者などと会話を楽しんだ。ジャワ島はイスラム教徒が大半を占める。ムスリムは1日に5回祈りをあげるらしく、それは5時、9時、12時、17時、18時だという。祈りの時間は3〜5分で済むらしい。

 祈りの時間になるとモスクからは、アナウンスのアザーンが流れる。昼や午後、夕方、夜のアザーンは、周りの騒々しさも手伝ってさほど気になることはないのだが、朝5時のアザーンには参ってしまう。この音のせいで早朝に起こされた事が何度もある。

 ツアー会社の連中に宗教は何だと聞かれた。無宗教だと言うと説明が面倒になるので仏教だと答えると、仏教は1日に何回祈るのかと聞いてくる。
「私たちは毎日祈る事はない。何か望みなどがある時にだけ神社や寺で祈る。ただし、飯を食べる前には手を合わせて祈るのだ」
 そう説明したが、相手は毎日5回も祈っている者たちである。私の説明ではどうも納得がいかない様子であった。

 インドネシアの現大統領はユドヨノという名前で、民間から選ばれた初の大統領で人気があるとも言っていた。
 会話をしていた男は日本の天皇の名前なども知っており、おまけに一昔前に証券法違反で逮捕されたホリエモンの事まで知っていたのには驚かされた。

 バスがやって来たのは14時半。結局ここでバスを4時間半も待った事になる。ようやく乗り込んだバスでは、英語が話せる同世代位のぽっちゃりした女が隣席だった。彼女の連れは女友達と、娘らしき10代位の女の子2人。4人でデンパサールに向かっていた。

 彼女は私にアメやスナックなどをくれ、いろいろ話し掛けてきた。デンパサールではどこに泊まるのか、1日10万ルピアで私がバリを案内してあげる、などと言ってきた。もし必要だったら頼むよとはぐらかすと、携帯電話の番号が書かれた紙を渡された。

 この彼女の女友達がなかなか強者だった。声はダミ声で窓から痰は吐く。ガニ股でのそのそと歩き、飯を食った後は腹の所のシャツを少しめくり、そこをポンポンと叩く。その振る舞いは完璧なオヤジだった。

 一緒に連れていた若い2人の女の子はぽっちゃり女の娘だと言っていたが、全然似ておらず、なついてもなかった。彼女たちは売春婦かとも考えたが、女友達は完璧なオヤジなのでそれは考えにくい。仕事は何かと聞いてみたが、はぐらかしていて答えない。まったく正体不明の4人組だった。

 バスは17時頃ジャワ島の東端バニュワンギに到着。ここからフェリーに乗り換えてバリ島へ渡るのかと思っていたが、バスごとフェリーに乗っての移動だった。
 フェリーではバスから降りて甲板に出る事が出来た。バリ島の西端ギリマヌクまではフェリーで約1時間。肉眼でも見えるほど近い距離だった。

 甲板で潮風に当たりながらぽっちゃり女と会話していると、彼女はこんな事を呟いた。
「何でみんなバリへ来るのかしら。みんなって言うのは、つまり白人の事だけど。私はあんまり好きじゃないのよね、彼らの事」
 愛想がよく人なつっこいバリの人たちだが、本音ではこういう事を考えているのだろう。

 バリ島のギリマヌクに到着すると、ゲートのような場所でバスの中にいた乗客のほとんどが降ろされた。残っていたのは私を含む観光客の外人5,6人だけ。
 どうやらテロリストの進入を防ぐため、地元の連中はジャワ島からバリ島へ入るのにIDカードの提示が必要らしい。先月も6人程のテロリストが逮捕されたとも言っていた。
 ジャワ島はイスラム教徒が大半を占めていたが、バリ島はヒンドゥー教になる。同じインドネシア国内でも宗教が違うジャワとバリでは、複雑な関係があるようだった。

 デンパサールのウブン・バスターミナルに到着したのは夜中の12時前。ここからクタ・ビーチへはべモ(ローカルのミニバス)を使って行こうと考えていたが、時間が遅かったのでほとんど運行してなかった。

 数台のべモがいたので料金を聞くと、他に客がいないので今は5万ルピアだと言う。タクシーの料金を聞いてみれば6万ルピア。料金がさほど変わらないのでタクシーでの移動を決めた私は、謎の4人組の女たちに別れを告げ、目的地のクタへと向かった。




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