インドネシアの首都 (ジャカルタ) 2007年4月13日〜14日


 ジャワ島の北西に位置するインドネシアの首都ジャカルタ。台北から乗ったエバー航空の飛行機は、予定通りインドネシアの表玄関スカルノ・ハッタ空港に到着した。
 気温は35度。想像以上の暑さで早くも汗が吹き出る。空港からはダムリのエアポートバスに乗り、ジャカルタのガンビル駅へ向かった。

 ガンビル駅から安宿が集まるジャラン・ジャクサ通りまでは徒歩10分。何軒か宿をあたり、料金が3万ルピアで一番安かった「WISMA DELIMA」に潜り込んだ。部屋はシングルルームでベッドが2つあり、扇風機が置いてある。シャワーはなく共同だった。

 ジャクサ通りには観光客向けのレストランなども数件あったが、どこも客が少なく閑古鳥が鳴いていた。到着した時間が夕方だったので早速周辺を散策し、屋台で夕飯にインドネシア料理の定番ナシ・ゴレンを食べた。

 ジャワ島はイスラム教が大半を占める。その事を思い知らせるかのように、翌日朝早く起きると、近くのモスクから祈りの時間を告げるアナウンスのアザーンが聞こえてきた。これを聞くとイスラムの世界に入った事を強く実感させられる。

 今晩は夜行列車でジョグジャカルタへ向かう予定だったので、ガンビル駅へで列車のチケットを購入。料金は20万ルピアで、出発は20時45分。ジョグジャカルタの到着時間は翌朝の5時45分だった。

 ガンビル駅の横にはムルテガ広場があり、中央にはジャカルタのシンボルともいえるモナスという塔があった。
 広場に行ってみるとモナスの周りで、軍隊らしき一団が歌いながらマラソンしていた。おそらくトレーニングなのだろう。走る男たちの後尾に、スカーフを頭に巻いた数人の女が一緒に走っていた。

 昔マレーシアのベナンビーチに行った時、スカーフを頭に巻いて服を着たままの奥さんが、旦那と子供と3人でジェット・バイクに乗っているのを見たことがある。このマラソンもそうだが、ムスリムの女たちは本当にどんな時もスカーフを被っている。
 敬虔なムスリムには人前で肌や髪を露出する事は考えられない行為らしく、そのカバーなしで人前に現れることは裸に等しいという。

 広場中央にある高さ132mのモナスは、入場料8千ルピアを払えば塔の上まで行く事が出来た。モナスの上から眺めたジャカルタの町は、都会を象徴するようにいくつものビルが建っていた。

 宿のチェックアウトは昼12時だったので荷物を預かってもらい、夜の列車の時間までジャカルタの町を散策。特にこれといって行く場所はなかったので、暇つぶしに旅行カバンとアンティークの店が並ぶスラバヤ通りへ行ってみた。
 何軒も並ぶ店頭には骨董をはじめ、インドネシアらしいお面や人形などが売られていた。買い物が目的ではなかったが、様々なアンティークを物色するだけでも面白かった。

 コタ駅や港の周辺を見たかったので、行き先を告げて市バスに乗り込んだ。しかし、降ろされた場所に駅など見当たらず、どこについたのかもさっぱり分からない。
 とりあえず適当に歩いていくと、パサール・バルという大きな市場があった。地図を見て現在地が分かったが、この辺りはコタ駅の方角とはまったく違うエリア。バスの客引きの適当さには、まったく呆れてしまう。

 しかし、この偶然たどり着いた市場が面白かった。訪れている客や店員の顔が、ジャクサ通りで見ていた地元連中の顔つきとはまるで違うのだ。それは、アジア各国の顔を取り揃えたかのように、バラエティに溢れていた。

 店も同様で、生活用品から食品、装飾品や電気製品と様々なものが売られており、市場特有の活気も溢れていた。偶然彷徨い込んだ市場で、早くも異国にいる実感をたっぷり味わえたジャカルタであった。




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