フィッシング・ネット (コーチン) 2003年2月28日〜3月2日


 南インドの港町コーチン。この町にはチャイニーズ・フィッシング・ネットと言われる独特の漁猟がある。浜にはその仕掛けである大きな網が多く並び、海の家のような簡素なレストランも数件並んでいた。

 浜を歩いていると、レストランの店員がエビを食わないかと勧めてきた。それほど大きくはないが、取れたてが食べられるというので勧めに応じた。
 料理と言っても鍋で茹でるだけのもの。まあ浜の雰囲気や取れたてという演出もあり、そこそこ美味しく小腹の足しにはなった。

 勧めてきた店員は日本人の彼女がいると言い、ラブレターを見せてきた。だが、その内容をまったく理解していなく、訳してくれと言うので英語で伝えてあげた。
 読めもしない相手にこの手紙を出した女は、何を考えているのだろうか。きっと遊ばれただけなのだろう。ここのフィッシング・ネットにかかって。

 コーチンは古くから香辛料貿易で栄えた町で、貿易を担っていたのはユダヤ人。かつては多くのユダヤ人がここに住み、ジュー・タウンと呼ばれるユダヤ人街が形成されていたという。その辺りには今でもスパイスショップが多くあり、通りには香辛料の独特な匂いが充満していた。

 町を散策していると路上に「3月1日パキスタンを叩きのめす!」という落書きがあった。インドとパキスタンの関係が良くない事は知っていた。落書きの日付は今日だったので、これから戦争でも始まるのかと心配した。

 その夜は浜辺にある簡素な建物で、南インドの伝統舞踊のカタカリダンスを鑑賞した。これは400年前から伝わるパントマイム劇。顔には日本の歌舞伎のようなメイクを施し、独特な衣装を着て行われる。目や顔の表情と500以上もある手のジェスチャーによって感情を表し、あたかも話しているかのように見せるものだ。

 日本の歌舞伎と同様に踊り手は男だけなので、女役も男が演じている。京劇や歌舞伎の起源は、このカタカリダンスであるともいわれている。確かに類似点も多くあるので、まんざらその説は嘘でもないだろう。

 カリカタ・ダンスの後には同じ場所でシタールとタブラのインド古典音楽の演奏があった。2つはインドを代表する伝統楽器で、シタールは共鳴音が特徴の弦楽器、タブラは小さな筒のような打楽器だ。

 この音楽もカリカタ・ダンスと同様に伝統を感じるものだった。曲によっていろんな拍子を使っていたのも興味深かった。暑さのために音がすぐ狂うのか、何度もチューニングし直していたのも印象的だった。

 伝統芸能を見ていて時間が経つのも忘れ、宿に戻るときは最終のバスになっていた。バスに乗って宿へ戻る途中、いくつか通過した商店街で祭りのような騒ぎを見た。
 至る所に豆電球を付けて明るくし、大勢の者が路上で盛り上がっている。何が行われているのか知りたく、隣に座っていた乗客に聞いてみた。

 話によると、今夜はインドとパキスタンのクリケットの試合があり、それでインドが勝ったので盛り上っているとのこと。この話を聞いて昼間見た道路の落書きの意味が分かった。あれは戦争ではなく、クリケットの試合に勝つぞという意味だったのだ。

 敵対意識がある両国にとっては、クリケットの試合も戦争と同様なのだろう。盛り上がっている様子を眺めていると、騒ぎの渦中に入りたい衝動にかられた。
 しかし、ここは港町コーチン。ひどく興奮した渦の中は、フィッシング・ネットと同じだ。そこで餌食になるのは嫌なので、生まれた場所へ帰る鮭のように宿へと戻った。




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