意外な申し出 (アーグラ) 2003年1月23日〜25日


 ジャイプルの次に訪れたアーグラは、インドを代表する建築物のタージ・マハルがある町。これはムガル皇帝シャー・ジャハーンが亡くなった妻の為に作らせた墓だとは、ここに来るまで知らなかった。
 皇帝は自分用に黒大理石で同じ墓廟を川の対岸に建設し、二つを大理石の橋で繋ぐ計画をしていたという。これが実現していれば、もっと壮観な景色が見れたに違いない。

 もう一つの世界遺産である赤砂岩のアーグラ城塞は、16世紀にムガル帝国の3代皇帝アクバルによって築かれたもの。4代皇帝ジャハーンギール、5代皇帝シャー・ジャハーンと3世代の居城でもあったこの城には、タージ・マハルを作らせたシャー・ジャハーンが幽閉されていた塔もある。

 城の周辺にいたリキシャの客引きは、やたらにしつこかった。そんな客引きも数日滞在していれば慣れてきて、かわし方も身に付いてくる。おまけに、これが日常の一コマになり、それがないと物足りなくもなる。

 アーグラからバスで1時間の町には、世界遺産のファーティプル・スィークリーがある。個人的にはこの遺跡の方が、タージ・マハルやアーグラ城よりも見応えがあった。
 ファーティプル・スィークリーはアクバル帝が約5年かけて建設し、たった14年で捨ててしまったムガル帝国首都の跡。アクバル帝は政治においてヒンドゥーとイスラムの融合を理想としていたらしく、この遺跡にもその理念が表れているという。

 中を見てるとガイドと称する男が出現。必要ないと断っても勝手にガイドするので話を聞いてみた。面白かったのは5階建ての塔があった場所。皇帝はこの上階に座り、階下に広がる敷地を盤にして、裸の女を駒にしてチェスを楽しんでいたという。なんとも贅沢な遊びだ。

 タージ・マハルでも対岸にもう一つ作る計画があったし、このチェスにしてもそうだが、昔の皇帝のやることや発想はスケールが違う。
 話をしてきた勝手なガイドは案の定、最後にチップを要求してきたが、頼んでないよと一蹴。観光地へ行くと、こういう輩が必ず現れるのもアジアならではだ。

 遺跡周辺の通りを散策していると、スラム街のようなところに迷い込んだ。そこは一見して貧しい事が分かるエリアで、観光客は私以外に一人もいなかった。
 そんな所を一人で歩くことに緊張感はあったが、無邪気に集まってくる子供たちがそれを消してくれた。陽気に声を掛けてきたり握手を求めてきたりと、まるで有名人にでもなった気分だった。

 ファーティプル・スィークリーに戻ると、今度は若者グループの一人が握手を求めてきた。さっきみたいに軽く受けたが凄い握力で、子供たちの時とはまるで違う。
 すると握手をしてきた体格の良い若者は「俺と勝負しないか」と言ってきた。冗談だろと思ったが、表情や声から察するに本気で言っている様子。

 面倒な事に巻き込まれても困るので「お前が一番強いから勝負する必要はないよ」と笑いながらたしなめた。インドではいろんな奴に会ったが、決闘を申し込まれたのは後にも先にもこの男だけだ。

 数日前にジャイプルで泥酔のリキシャ運転手に絡まれた時は、日本人の観光客だと思って舐めるなよと反撃した。だが、ここで同じ事をしていたら、計画が頓挫した黒いタージ・マハルを作られて、そこに葬られていただろう。こういった時に余所者は、おとなしくしてるのが一番だ。




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