八丈富士登山 2009年6月22日


 早朝目覚めると雨は止んでおり、太陽の姿も見えた。ラジオの天気予報でも今日は晴れだが、実際の空は雲に覆われ、太陽もすぐに姿を隠してしまった。これから快晴になる兆しはまったくない。

 登ろうと思っている八丈富士にも霧がかかり、底土野営場からもその姿はまったく見えない。しかし、この天気を逃すとまたいつ雨が降るか分からない。仕方ないので、天気の回復を祈りながら、曇り空の中で八丈富士登山に出掛けた。

 八丈富士は標高854m。麓の通りの登山口から山頂下の階段がある登山口まで徒歩で2時間半。坂の勾配はかなり急で、歩くだけでもキツイ。道は車が数台通るだけで、歩いている者もいない。天気が回復する見通しもなく悪化していた。
 階段のある登山口にはフェンスが張られ、鍵が掛かる扉があった。なぜこんな所にこんな物があるのだろう。

 貼られた注意書きを読んでみると、フェンスは野生の山羊を捕獲する為のもの。山羊が逃げないように、常に扉を閉めてくれとも書かれていた。
 ここから山頂までは1時間。上がるにつれて風も強くなり、霧がかかって周囲の景色は何も見えなくなってきた。これじゃ山頂に行っても何も見えないだろう。しかし、既にここまで着たのでもう引き返せない。

 休火山である八丈富士の最後の噴火は1707年。山頂には火口があり、その周りを歩ける「お鉢廻り」というコースがある。港で入手した観光ガイドにも、お鉢周りの写真が掲載されていた。それは、青い空と青い海をバックに、緑が多い茂る草原のような景色。
 しかし、私が今ここで見てるのは僅かな緑の草原と白い霧のみで、観光ガイドの写真とはかけ離れたもの。20m先は真っ白で何も見えないという状況だった。

 それでも一周約1時間の「お鉢廻り」は十分楽しめた。草が膝下まで生えているので道らしくなく、本当に自然の中を歩いている気分。足元の道幅が50cmくらいの場所もあった。その両サイドは火口と急斜面なので、ちょっとしたスリルも味わえる。これが快晴だったら、もっと凄い景色が見れたのだろう。

 悪天候の中を歩いているのは私一人だけかと思ったが、途中で休んでいるとカップルが歩いてきた。女は日本人だが、よく見ると男の方はイスラエルっぽい顔をした外人。
 そういえばキャンプ場で一緒だった女もイスラエル人。この年の正月に訪れた京都でもイスラエル人のカップルに出会った。国のない流浪の民であるイスラエル人は、世界中を徘徊しているようだ。

 八丈富士の火口には降りていくことが出来た。最後の噴火は300年程前。既に火口は緑に覆われ、ちょっとしたジャングルといった雰囲気。
 奥まで進んでいくと、なんとそこには大きなパイプで作られた鳥居の浅間神社があった。こんな所にまで神社を作るとは、やはり日本人のアイデンティティは神道だなと思わせる。

 どこかで野生の山羊に遭遇しないかと期待していたが、その姿を見ることはなかった。人気のない山を歩いていたので、逆に山羊と間違えられて猟師に撃たれる可能性があったかもしれない。まあそんな猟師の姿も見ることはなかったのだが。
 観光ガイドには「癒される」という項目で挙げられていた八丈富士。周囲は真っ白で霧雨の天候だったこの日の八丈富士登山は、寒くて肌に「矢刺される」気分だった。




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