手も足も出せない (鄭州) 2009年8月31日


 中国の鉄道の座席は4種類ある。料金が最も安く硬いシートの硬座。シートがクッションになった軟座。上・中・下の三段に別れた寝台席の硬臥。上下二段のコンパートメントで、クッション寝台の軟臥。席がよくなるにつれ、当然のように料金は割高になる。

 広大な中国の移動では、鉄道も頻繁に利用する交通機関だろう。しかし、乗車券を前もって購入しなければならなかったり、寝台券の入手が難しかったりとマイナス点も多い。なので私は列車にはあまり乗らず、主にバスを利用して移動を続けきた。
 鉄道を利用するのは移動が長距離に及ぶときか、その区間にバスが走ってない場合だけ。上海から鄭州への移動も長距離だったので、必然的に鉄道を利用した。

 鄭州までの移動時間は夜を跨いだ15時間。ぐっすり眠るためには寝台席を買うのがベターだが、金を節約したいばかりに一番安い硬座を購入。
 しかし、この判断が大きな間違だった。それまで硬座は数回利用したことがあったが、それは数時間のこと。硬座でも眠れるだろうと簡単に考えていたが、それがとても無理な話だった。

 硬座のシートは三人掛けか二人掛け。窓側の位置なら壁にもたれ掛かったり、物を載せる小テーブルにうつ伏せになったりして眠ることは出来る。
 だが通路側になるとそうはいかない。頭を安定させる場所がないのだ。 その為、いくら眠ったとしても、ひどく揺れた時や頭がガクンとなる度に目が覚めてしまう。

 おまけに夜中でも列車内の電気は点いたまま。起きている乗客が会話のトーンを下げることはないので、とにかく騒がしい。加えてワゴンを引いた鉄道員が物を売りに来る。
 全席指定なのに必ず溢れた人間がいて、空いている席を探すためウロウロしてる。睡眠薬でも飲まない限りこの状況下で眠るのは至難の技。15時間の移動で眠れたのは僅か1時間だけだ。手も足も伸ばすことは出来ず、今回の旅で一番辛い移動だった。

 列車内にいる数人の鉄道員は乗車券の確認だけでなく、掃除や物の販売などもこなしていた。ワゴンで飲食料を販売する他に、様々な商品を売っていたのも面白い。
 それは、破れにくい靴下、靴の中敷、折り畳み箸セット、ヤニ取り歯磨き粉など。この時に乗客の興味を大きく引いていたのは、偽札識別ライトだった。

 本物と偽物の札を見せて乗客に説明していたので、最初は防犯対策の為にやってるのかと思ったが、これが商品を売るための前振りだったのだ。
 親指くらいの大きさのライトからは、ブラックライトの明かりが出る。それを札にかざすと浮かび上がる文字や模様があり、それが濃いと本物で薄ければ偽物というわけだ。

 市場で競りをしてるようなだみ声の鉄道員は、話術巧みに乗客を注目させる。こっちを本業にした方がいいんじゃないかと思わせる販売だった。
 他の物は大して売れない中で、このライトだけはバカ売れしていた。中国では町の商店や屋台などで金を払うとき、偽札かどうかを確認されることが多くあった。列車内ではなく、この偽札識別ライトを町の商店で営業すれば、かなり売れるんじゃないだろうか。

 鄭州に来たのは有名な寺を訪れる為。三十六房、木人拳でピンとくる人はすぐ分かるだろう。そう、この鄭州近郊には映画でも有名な少林寺があるのだ。ここは少林寺拳法が発祥しただけでなく、インド僧の達磨が禅宗を開いた寺としても有名だ。

 バスに乗って訪れた少林寺は、やたらに広い敷地内にあった。周囲は岩肌が所々見える山々に囲まれ、それがまた雰囲気を出していた。
 寺自体も風格があるもので、中には「武僧脚抗」と呼ばれる拳法の厳しい修行によってへこんだ床や、達磨の9年間の修行によって影が付いたという「面壁影石」などもあった。
 実際に達磨が修行した達磨洞もあったのだが、そこには山道を2時間上らなければならなかったので遠慮した。

 敷地内にある武術館演武庁では、子供僧による30分間の演武を鑑賞できた。脛で木を折ったり、瓦を拳で割ったりする空手で見るようなアクションの他に、槍を鎖骨に当ててしならせるパフォーマンス、針でガラス板を突き刺して、板の向こうにある風船を割るというインチキまがいの見世物もあった。
 それだけではなく、バック転や側転を交えて拳法の型を見せるものや、刀を持った者同士が戦ったりする迫力ある演武など、十分に堪能できるショーの構成だった。

 ショー自体も確かに見応えはあったが、それよりも目を釘付けにされたのは、司会進行の若くて綺麗な姉ちゃんだ。こんな子とデートなどしてみたいが、そもそも中国語が話せない。おまけにここは達磨が開いた禅寺。たとえ姉ちゃんと会話したとしても、おそらく手も足も出すことは出来なかっただろう。




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