安宿探しは一仕事  (上海) 2009年8月29日〜31日


 中国の上海と言えば今や国際都市。日本からも激安ツアーが頻繁にあり、気軽に訪れることのできる中国の玄関都市でもある。
 ツアーで行けばホテルなどもパックになってるので、宿探しには何の心配もないだろう。しかし、個人旅行の身ではそうはいかない。

 懐の心配がなければ、優雅なホテルに直行すればいいが、貧乏旅行者には安宿探しが必須の仕事。ここまでと同様に、上海でもまずは安宿を見つけなければならなかった。
 杭州からのバスが到着したのは上海南バスターミナル。私は次の移動を考えて、上海駅へ移動して北バスターミナル周辺で安宿を探した。駅前のエリアの一角は再開発工事をしてるのか、建物がいくつも壊されていた。

 爆弾が落とされた後のように荒涼としていたエリアに入っていくと、私が求める安宿が数軒あった。料金も2、30元と安かったが、外人ということでどこも宿泊拒否。
 断られるだけならまだしも、中には去る時に「バカヤロ」と日本語で文句を言ってくる宿もあった。一部の人間には日本人は悪人というイメージがあるのだろう。

 文句ではなく、受付で居合わせた客から「クロアチア」とお辞儀されたりもした。本人は「こんにちは」と言ってるつもりだろうが、何度もお辞儀して発する言葉はクロアチア。これに対し私はバカボンパパになって「コニャニャチハ」と言い返した。

 宿泊拒否されたのは上海だけでない。今まで訪れた町でも何度か経験した。安宿は中国人専用で、外人を泊めてはいけないという法律があるのは仕方ない。
 だが、面と向かって断られるのは、あまりいい気持ちがしない。本当に断りたいのなら店先にでかでかと「中国人専用」との看板を掲げて欲しい。

 さらに別のエリアを探して、引き続き安宿探しに翻弄した。そこで50元の宿を見つけたのだが、今までと同様にパスポート出した時点で宿泊拒否。
 ここでは受付のおばちゃんが私を日本人だと知ると、横にいた息子らしき若者に「こいつ日本人だってよ」みたいな事を言っていた。

 宿を去る私をその息子が追いかけてきて、「ナーリー〜・・・」と声を掛けてきた。こちらは断られ続けてイライラしてる身。振り返って一瞥し「ブーミンバイ(分からない)」と一言投げかけると、それ以上は追ってこなかった。

 逆境にはめげず、引き続き近くの宿をあたった。その中で外人と分かりながら泊めてくれそうな宿が一軒あった。受付の若い姉ちゃんは迷いながら、何泊するんだと聞いてくる。私が一泊だけだと答えると、渋々オーケーしてくれた。

 料金は一泊80元。日本円から考えたら大した料金ではないが、この国を旅してきた感覚からはかなりの料金だ。
 本来はこの宿も外人を泊めることは出来なかったのかもしれない。だがどこにでも救いの女神はいるのだ。この国際都市上海で、私はようやく落ち着ける宿を確保できた。

 中国は安宿の個室でも、大抵テレビが備えられている。夜はテレビを見ることで、孤独で退屈な時間を過ごしてきた。流されている番組の中には、抗日戦争時のドラマが多くあった。中には軍事報道というチャンネルもあった。
 別に中国の考え方が悪いとか間違ってるとは思ってもない。だが、テレビで流されるこんな番組ばかり見ていれば、日本を嫌うのも無理はない。

 確かに相応の事実が過去にはあったのだろうが、私は単なる旅行者に過ぎない。法律上で断わられるなら仕方ないが、別の理由で宿泊拒否されるのは少々納得いかない。とにかく、この国を貧乏旅行する際に、安宿探しは楽にいかないようだ。




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