文化の違い (杭州) |
2009年8月27日〜29日 |
廈門から杭州までは列車で22時間。さすがにこの長時間移動を硬座で過ごすのはキツイ。そこで寝台席の硬臥を利用した。
おかげでぐっすり眠ることは出来たが、上・中・下の三段に別れてる上段を選んだので、かなり狭い空間だった。硬臥では中段か下段がベターだろう。その為、段の違いで料金も変わるようだ。
硬座と違い溢れてる客はいないが、ガキが喚いて走り回ってるのは万国共通。硬臥はやはりランクが上なのか、タバコを吸う中国人女を初めて見た。また一人旅の女もいる。金を持っている証拠だろう。
杭州駅周辺で安宿を探したが、どこも相場は5、60元と高かったので、東バスターミナルへ移動。こちらには安宿が多くあり、25元のボロ宿に潜り込んだ。
チェックイン後にシャワーを浴び、部屋でくつろごうとすると、受付の男がやって来て何やら言い出した。だが中国語の出来ない私には、何を言ってるかさっぱり分からない。
すると男の母親のような女も現われ25元を返してきた。出て行けという意味らしい。断るなら最初からそうして欲しい。えらく中途半端な追い出し方だ。すぐ近くに35元の安宿を見つけて移動したが、こちらは追い出されることはなかった。
杭州では西湖を観光し、そこで久しぶりに日本人の観光客と出会った。それも若くて可愛い女の二人組。2泊3日の個人旅行で来ていた彼女たちは、それならではの行動をしたい様子が伺えた。
ローカルな場所で食事をしたいようだったが、中国語が話せないのでそうもいかない。日本語の会話に飢えていた私はそれとなく一緒にお供しようかと振るまったが、しつこく付きまとう私をどうも煙たがっているようだったので、身を引くほかなかった。
2泊3日で旅行している彼女たちには、貧乏旅行で放浪している私は別世界の人間と見えたようだ。杭州ではそんな思い出しかないので、ここで中国旅で感じた事を少し振り返りたいと思う。
まず最初に感じたのは、店や宿などでの接客態度だ。対応は横柄なのもで、釣りの札を投げて返されこともしばしばあった。最初はムカッときたが、別に自分一人がそうされてるわけではないのだ。
片手に丼を持って飯を食いながら、接客する姿もチラホラあった。若くて可愛い女の子がカップラーメン片手に接客していたのを見た時には、ごく自然な事に映り、ある意味で自由を感じたものだ。そういった事が中国では普通なのである。
それとよく見掛けるのが、男も女も「カー、ペッ」と痰を吐いていること。これは多くの人間に見受けられたので、何か理由がありそうだ。
例えば空気が悪くて常に喉がイガイガするとか、万年風邪気味症だとか。もしくはティッシュで鼻をかむ代わりに、口から出してるのか。だが鼻水なら手鼻をしてる者も多く見たので、そうとも限らない。とにかく、この痰吐きは特に目にすることだ。
慣れるのに時間が掛かったのは、列に並ばないという文化だ。バスや列車の切符を買う時などは、窓口に早く行った者勝ち。これも慣れるまでは横入りされる度にムカついていたが、郷に入れば郷に従えと、いつの間にか自分もそうなっていた。
大きな駅ではその対策なのか、窓口の前には一人しか入れない仕切りがあり、ちゃんと列が作られていた。
そして一番のカルチャーショックは、何といってもトイレだろう。旅人の間で通称ニーハオ・トイレと呼ばれるそのトイレには、ドアがないのである。具体的に言うと、大をする場所は腰丈程の横の仕切りがあるだけで、鍵を閉めるドアなどない。そして誰もが入口に向いて用をしてるので、その姿が丸見えなのである。
これも最初は抵抗があったが、恥ずかしいなどとは言ってられない。そこで用を済ませなければ、外でする以外に術はない。何でも慣れればどうってことはないものだ。やがては隣に負けない位に大きな音を立てながら、平然と用を済ませれるようになっていた。
文化の違いというのは誤解を生む原因になることもある。しかし、その国ではそれが当然のことであるのだから、受け止め方によっては大きな勘違いにもなる。その違いを体験できるのも、旅の醍醐味の一つだろう。
西湖で出会った可愛い女の二人組みも、観光客と旅人という違いを理解してくれれば、もう少し仲良くなれたんじゃないかと思うのだが。