都会のオアシス (廈門) 2009年8月25日〜27日


 永定から龍岩を経由して廈門へ向かった。茶葉輸出港としても繁栄してきた廈門は、華南地方最大の港湾都市。華僑資本を中心とした外資が多数進出し、日本企業も多いという。マカオにも似た都市には高層ビルが立ち並び、企業の工場などが多くあった。

 廈門に来たのはコロンス島で観光気分を味うわめだった。廈門港の開港後に共同租界地に定められたコロンス島には、イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、スペイン、ポルトガル、オランダなどの国が次々に領事館、商社、病院、学校、教会などを設立したという。その租界の面影が今も残り、島には西洋式の古い洋館が立ち並んでいる。

 コロンス島はピアノの普及率が高く、有名なピアニストを多く輩出しているという。そんな訳もあり、この島はピアノ島とも呼ばれているらしい。私が島を散策している時にも、民家から練習するピアノの音が何度か聞こえてきた。

 どこを切り取っても絵になる風景。お洒落なレストランやカフェで過ごす優雅な一時。訪れる多くの観光客も、そんなリゾート気分を求めて来るのだろう。
 島では観光客を乗せる電気自動車以外の乗り物が走ってないので、静かでのんびりとしている。散歩をするにはもってこいの場所だ。人気の観光地というのも実感できる。

 いくつかのビーチもあったが、周りの景色は立ち並ぶビルと大型タンカーの往来とで殺風景。島最大の観光スポットは、日光岩という高さ100mの岩山。山頂へ上がるのは面倒だったので、歩きながら外観だけを眺めた。

 福建省といえばピンとくるのがウーロン茶だろう。その茶葉を売る店がコロンス島にも多くあり、本格的な茶セットを前に実演販売をしていた。
 茶の木はもともと中国雲南省とインドのアッサム地方だけで自然育成する植物。中国では紅茶よりもずいぶん古くから緑茶が飲まれ、茶葉に発酵処理を施さない緑茶は、不老長寿の霊薬として飲まれていたという。

 ウーロン茶が誕生したきっかけは、緑茶を作る過程で自然に起こった酸化発酵。そして17〜18世紀にヨーロッパにもたらされた中国の緑茶やウーロン茶は、次第に人気を高めていく。製造業者たちが買い手の嗜好に合わせて発酵を進めているうちに、そこから紅茶が誕生していったようだ。

 コロンス島以外はとりわけ行く場所もなかったので、フェリーで戻った対岸周辺をうろついてみた。そこがスラムのようなエリアで、混沌としたアジアの雰囲気が充満していた。
 3,4階建てのマンションの窓辺や電線などに、洗濯物がぶら下げられている。様々な商店が並ぶ通りでは、茶葉を分ける女たち、椅子を持ち出してくつろぐおっさん、スケボーで走り回るガキなどが目に付いた。

 雀荘では男女問わず大人たちが麻雀に白熱。路地裏では客引きをしてくる売春婦、御札を燃やしてる老人などもいた。近くにあった市場では、葡萄の横に鳩が売られ、その横で魚を売っているという無秩序。

 カオスの中では貧困を強く感じだが、その反面人々は自由に活き活きと暮らしているように思えた。偶然足を運んだこのエリアは、まさに近代都市の狭間に埋もれている都会のオアシスだった。




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