客家土楼の一夜 (永定) 2009年8月23日〜25日


 席座の悪さと乗客のうるささで眠れぬまま、朝の3時に永定駅に到着。夜もまだ明けぬというのに、駅前には数台のタクシーやリキシャが列車から降りてきた乗客を待ち構えていた。しつこい客引きを逃れながら、バスターミナルへと足を進めた。

 といってもこの時間なので、目的地に行くためのバスはまだ動いてない。朝までバスターミナルで過ごそうと腹を決めていたが、運良く開いている宿があったのでそこにチェックインした。

 ようやく落ち着いたのでシャワーを浴び、一眠りする前に受付でビールを頼んだ。栓抜きがないのに気が付いたおばちゃんは、何の躊躇もなく瓶を口にくわえて歯で栓を抜いた。ワイルドすぎるぜおばちゃん。私でもそんなことはしないよ。
 とにかくビールの酔いも手伝い一眠り。数時間後にはチェックアウトして、バスに乗って目的地へと向かった。

 その目的地というのは、土楼という土造りの巨大な円形住居。中国を訪れた時は、この土楼を生の目に収めたかった。
 永定には土楼が数多くあり、「福建土楼」としてユネスコの世界遺産にも登録されている。見るだけでなく土楼には宿泊もできたので、折角なら泊まろうとここまでやって来た。

 バスが永定土楼民族文化村の前に到着すると、客引きのおじさんがやって来た。話を聞くと、目の前にある環興楼に20元で泊まれるという。探す手間が省けたので、そこに泊まることにした。

 環興楼には人々が普通に暮らしていた。建物の一部は壊れかけ、かなり年季を感じる。おそらく、宿というよりも、ここで暮らす人が部屋の一部を観光客に貸してるのだろう。だが、生の生活風景を見れるその状況が良かった。

 山の中にある土楼の外観を眺めたかったので、バイタクの運ちゃんと交渉して田螺抗土楼群を訪れた。途中には切手のデザインにも使用されたという承啓楼や、塔下という古い町などもあった。
 高台から眺める田螺抗土楼群はまさに求めていた風景で、巨大な土楼は周りの自然に溶け込んでいた。非常にユニークな建築物の土楼は、確かに世界遺産に値する。

 宿泊した環興楼の部屋は4階にあり、隣には日本人の青年が泊まっていた。この青年は廈門大学に籍を置く博士で、土楼の研究をしていた。既に半年ここで暮らし、さらに一年間を調査の時間に当てると話していた。

 日本人に会ったのは一ヶ月振り。久々の会話はもちろん、存在以外に土楼の事をまったく知らなかった私は、この博士に酒を付き合ってもらい、土楼や客家についての話をたっぷり聞かせてもらった。

 土楼は4階建てで、縦一列が1家族の住まい。1階は台所で2階は物置、3、4階が住居になっている。有名な土楼は円形のものだが、中には正方形など四角形のものもある。
 土楼は客家人全体の習俗ではなく、福建省の一部山間部の客家人だけに見られるもの。外部からの襲撃を防ぐために作られたもので、一族がまとまって居住している。どこの国の伝統的な村でも同じように、若者はあまり土楼には住みたがらないようだ。

 中央には祖先を祭る租堂というもがある。しかし、博士の話によると、その租堂に祭られているのは祖先ではなく、土着神のような神様だという。その事をユネスコに批判したらしいが、まともに取り合ってはもらえなかったという。

 詳しくは忘れたが、要するに祖先を祭っているという事の方が都合がいいというのが理由らしい。客家は漢民族から分枝した特徴的な民族の一つだが、それも実際はそうではないらしい。それも漢民族の分岐と言っていた方が都合がいいのが本当の理由らしい。

 ゼミを受ける学生のように、質問をしながら博士の話を聞き続けた。だが片手に持っているはペンではなく、白酒の入ったグラス。それでも博士は嫌な顔はせず、この不良学生の相手をしてくれた。

 今後まとめた土楼や客家の調査は、本となって出版される目処も立っているそうだ。早くその本を読んでみたい。土楼では宿泊するという経験だけでなく、貴重な話も聞けることが出来た一夜だった。




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