幻想の棚田 (元陽) 2009年7月31日〜8月2日


 高地の少数民族が千年以上の月日をかけ、耕し増やしていった元陽の棚田は、万里の長城と肩を並べる「人間が創り上げた奇跡」とも言われる。壮大な棚田は圧巻で、どこを切り取っても絵になる景色。

 緑一面になる夏の棚田も壮観だが、冬は田植えに備えて張られた水に光が反射して幻想的な姿に変わる。写真好きにはたまらない被写体だろう。
 そんな棚田をもちろん写真にも収めたかったが、運が悪いことにデジカメの電池が切れ、予備も既に使い切っていた。

 私のカメラは単三電池ではなく、CR-V3というデジカメ専用電池を使用する。町中探し回ったがこのタイプの電池はどこにも売ってない。大きな町ならまだしも、こんな山頂の町では扱ってないのだろう。
 景洪ではメモリーのことばかりに気を取られて、電池の事までは頭が回らなかった。こればっかりは仕方ないので棚田の写真は諦め、しっかりとこの目に焼き付けることにした。

 しかし、翌朝起きてみると町は一面の霧で、景色など何も見えやしない。おまけに風邪を引いてしまい、咳、痰、鼻水がひどい。
 病人の飯は粥だと店を探したが、粥をやってる店もない。代わりにあるのは米線というそうめんのような麺だけ。米をそのまま食わず麺にしてしまうとは何たる暴挙だ。

 米線以外に豆腐や芋を焼いて食わせる屋台が多くあり、地元民はそれをつまみに米線を食べていた。それに習って豆腐を頼んだのだが、付け合せに出てきたタレがやたらと辛くてちっとも美味くない。豆腐は生で食ったほうが美味いのになぜ焼いてしまうんだ。
 霧で景色は見れない、美味い飯にもありつけない。すっかり意気消沈したので、午前中は静養しようと薬局で薬を買うことにした。

 筆談などで症状を説明すると、薬局の店員はそれぞれにあった薬を3つ出してきた。それもかなり量のあるものを。漢方の国なら一つで3つの効用をもたらす薬を作らんかい。そう文句を言いたくとも言葉が分からない。

 3つの効用がある薬はどれだと聞いてみても、「メイヨー」と言われ、この3つが一番効くんだと力説された。とりあえず応急処置として、それとはまったく関係ない3,6元の鼻水用の薬を買うと、4角の釣りは現金でなく袋に入った解熱の錠剤だった。
 購入した鼻水用の薬のパッケージをよく読めば、喉の痛みや体の痛み等にも効くと書いてあるではないか。

 午後から天気も体調も若干回復したので、重い体を起こして棚田見学へ。といっても町の周辺に棚田があるわけでないので、見るためには有名なポイントにでもいかなければならない。

 それがどこなのか宿のおばちゃんに筆談で聞き出すと、名所が写真付きで載っている地図を見せてくれた。良さそうな4ヶ所のポイントは同じルートにあったので、軽自動車の乗り合いバスでまずは勝村へ向かった。

 さぞかし息を呑むような絶景が見れると期待したが、着いたのはただの汚い村。一回りしてみたが目に付いたのは、民族の生活と道路工事、それと散らばるゴミだけで、棚田が見られる場所などありゃしない。
 村に来るまでに小規模の棚田はあったが、写真で見たものとはまるで違う。仕方ないので宿泊地である新街へ引き返した。

 元陽に来る道中には斜面に広がる壮大な棚田があり、その山頂には柵付きの展望台があった。その周辺の看板で「牛角寨」という文字を多く見かけていた。今日知った情報にもその地名があったので、次はその牛角寨へ向かった。

 緑春から来た一本道をただ戻っていけばそこに着くのに、ミニバンは途中で脇道にそれ、未舗装のガタゴト道に入っていった。
 同乗している客の行き先がこの方向にあるのか、または抜け道でも走っているのだろうか。しかし下り道なのが気になる。それでも途中で通過した重点村の周辺では、素晴らしい棚田の景色が見れた。

 カメラの電池は切れても、時間を置くと少量のバッテリーが復活することが何度もあったので、その僅かな希望に賭けていた。しかし、座っていた後部座席は窓が開かず、おまけにスモークが張ってあるので車からは撮れない。

 後で壮大な斜面の棚田を一枚でも撮れればいいやと我慢すれば、到着したのはまたもや汚く辺鄙な村で、求めていた場所とはまったく違う。どうにかあの展望台に行こうと帰りのバスを探すと、今度はそのバスすらない。まだ夕方18時だというのに何てことだ。

 1時間くらい村をうろついたがバスは全て停車しており、運ちゃんは皆家に帰ってしまっていた。宿泊している新街に帰れなくなったので、止む無くこの牛角寨に泊まる羽目に。
 村にあるのは3件の宿だけで、1軒は潰れ、もう1軒は人がいなく、泊まれそうなのは1軒のみ。その1軒の宿で部屋を見せてもらうと、シングル・ルームではなく3人間のドミトリーだった。

 料金は40元。私が新街で泊まっている宿は30元のシングルで、バスルームも湯沸かし器も付いていた。それを考えると高すぎる。誰も泊まってないので、どうにか交渉して20元にまけてもらった。大体バスがあればこんな所に泊まる必要などなかったのだ。

 宿の1階で飯が食えたので肉と青菜の食材を選び、炒めてくれと頼んだ。出てきたのは肉のから揚げだけ。腹が減ってたので白飯とから揚を平らげてしまうと、後から大どんぶりに入った湯で青菜が出てきた。それも大量で、とても1人で食べるきれる量ではない。

 しかも、茹でてるだけなのでちっとも味気なく、一緒に出された透明のタレをつけてもちっとも美味くない。ほとんど手付かずで残したまま勘定を聞くと、なんと20元。宿代と同じじゃないか。どこまでもついてない日である。

 風邪もぶり返し、体調は茹でられた青菜のようにふんにゃりに。元陽に関しては情報をまったく持ってなかった。観光地なので誰かしらから情報が聞けるだろうと見込んでいたが、町で見かけたのは数人の観光客だけ。雲南は災難続きでトラブルばかり。写真も撮れず、元陽の棚田は冬でもないのに幻想になった。




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