想像していたトラブル (緑春〜元陽) 2009年7月31日


 緑春からバスに乗り元陽へ向かった。しばらく走ると公安の検問所があり、身分証明書の提示。一人だけ外人である私のパスポートを公安の係員は持ち出し、外で何やら記入をしていた。

 私が日本人であることが分かったためか、その後走り始めたバスの中では日本軍が悪者になっている戦争映画を映していた。映画の中の字幕から察するに、日本軍のことは「鬼子」と呼んでいたようだ。

 肩身の狭い思いをしていると、山道が急に渋滞になりバスがまったく動かなくなった。運転手や乗客が降りていくので、私もそれについて渋滞の先まで歩いて行った。
 先頭まで来てみると、道路がとんでもないことに。土砂崩れである。昨晩降った激しい雨のせいだろう。今回の旅は雨季に重なっていたので、ラオスや雲南省の山奥で必ず遭遇するだろうと想像していたトラブルだ。

 反対側にブルトーザーがで来ていたのだが、道の凹凸が激しくその作業も思うように進まない。ブルトーザーで少し崖を崩しては、スコップやつるはしを持った民族たちがさらに整地するといった気の遠くなるような作業をしてる。

 土砂崩れになっている部分は大型バスがぎりぎり通れるくらいの幅で、すぐ横はかなり勾配のある斜面。今日の内に道が復興して通れるのか、ひょっとしたらその部分も崩れてしまうんじゃないかと、心配になる程の状態だった。
 崩壊地点の両側には多くの人が集まり、作業を眺めていた。この辺りの山に住む農民たちなのだろうか、その中には青と黒を基調にした衣装を着た民族が多くいた。

 ひどい現場とは裏腹に、周辺は棚田が広がる壮大な景色。両方を眺めていると、背負い籠にアイスやお菓子、タバコなどを入れて売りに来る者や、ボールにゆで卵などを入れて売りに来る民族が現れた。
 ちょうど昼時だったので、ちょっとした食料でもすぐ売り切れになる。民族たちは何度か同じ物を売りに来て、しっかりと臨時収入を稼いでいた。

 ブルトーザーが強引に進むのを繰り返すと、ようやくこちら側に渡る事が出来て一同拍手喝采。ここで喜んでる場合じゃないのだ。ブルトーザーだから通過できただけで、まだ道は何も直ってない。これからさらに凹凸を少なくして道を固め、そこで初めて拍手なのだ。
 今朝の緑春の光景といい、この土砂崩れ現場といい、改めて私は今とんでもないところに来ているのだなと実感した。

 普通車が通行できるくらいに復旧すると、一台のバスが我先にと突っ込んでいった。しかし、道はまだ凹凸が激しい泥濘だったので、そのバスがはまってしまい身動きが取れない状態に。道を直すどころか、今度はそのバスを出すのに大騒ぎだ。

 全員で後ろからバスを押したり、タイヤの下に砂利を敷いたりして、どうにかバスは泥濘から脱出。その後、現場で作業に取り掛かる者たちは、ああでもないこうでもないと文句を言い合いながら部分的な復旧を施し、さらに時間が過ぎていった。

 私の乗るバスがここを通過出来たのは、最初に立ち止まってから4時間後のことである。その時もスムーズには通過できず泥濘にはまったが、脱出にはそれ程時間はかからなかった。

 復旧箇所を渡った先で、運転手は現場を取り仕切っていた男に34元払っていた。通行料か復旧代なのだろうか。ここに繰り出してきた民族たちは、無料働きをしていたわけではなかったようだ。

 その後も土砂崩れの箇所がいくつかあったが、通行止めで足止めを食うことなく元陽に到着。通常なら3時間という移動時間は、土砂崩れのせいで7時間。一時はどうなることかと思ったが、振り返ってみれば笑える話で、貴重な思い出になった。




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