そろそろ限界だな (長崎〜佐賀) 2011年11月24日


 昨日は暗くて分からなかったが、テントの前にあった巨大な石像はなんと弘法大師。ここに導かれたのも何かの縁だったのだろう。田の浦は弘法大師ゆかりの地で、ここから唐へと船出したようだ。

 78番開元寺はキャンプした駐車場を左に出ればすぐの所だったのだが、番地が分からず下調べも悪く、反対の方向へ行ってしまい30分は迷った。
 昨日は朝一で行った寺が閉まっていたが、この開元寺は開きすぎていた。建物は壁のない東屋で、なんと住職すら暮らしてなかったのだ。

 唯一あったのは納経の案内看板。この寺の納経は、77番最教寺奥之院にてお願いしますとのことだった。九州八十八ヶ所は組織運営でなく、個人経営によるフランチャイズなのだろうか。それにしてもオープンで自由すぎる寺だった。

 日本に初めてキリスト教を伝えたのは、イエズス会の宣教師だったフランシスコ・ザビエル。平戸には彼がこの地を訪れた記念として建てられたザビエル教会があった。
 多くの教会は建物のデザインが左右対称だが、この教会は左右非対称の珍しい造りだという。何かアンチ的な理由でもあるのかと思ったが、ただ単に建設時に資金が足りなかっただけらしい。

 キリスト教が禁止された江戸時代、平戸には多くの隠れキリシタンが潜伏していたという。禁教が解けた明治時代以降になって、島内各地に教会が建設されていったようだ。

 平戸大橋を渡って日本最西端のたびら平戸口駅を見た後、国道204号線を東へ向かい、松浦水軍が有名な松浦市で79番善福寺を参拝。この後は唐津市中心部へ行く予定だったが、時間があったのでルートを変更し、観光しながら郊外を回っていく事にした。

 まず訪れたのがいろは島を眺められる展望台。いろは島とは佐賀県唐津市と長崎県松浦市の間の海域に浮かぶ、多数の無人島の総称。
 島の数は48とされ、「いろは48文字」から命名されたという。展望台からの眺めは良かったが、その手前にあった大浦棚田の景色も同様に素晴らしかった。

 そこから204号線を北上して浜野浦の棚田も見た。この棚田は海岸へと続く傾斜地に作られており 、283枚の田んぼが幾何学模様を生み出している。普通に見ても絵になるが、4月末からの1ヶ月間は水平線に沈む夕日が海と棚田をオレンジ色に染め、見る者の目をより楽しませるそうだ。

 さらに数キロ北上して玄海原発も見学。発電所の隣には玄海エネルギーパークという無料の施設があり、展望ルームから発電所が一望出来た。
 館内には原発関連の展示もあったが、それよりも為になったのは、九州各県の祭りや伝統芸能を実物大の模型や写真で紹介していたコーナー。内容はこういったものだった。

長崎県 「長崎くんち」「長崎ペーロン」
佐賀県 「唐津くんち」「袴野面浮立」「市川の天衝舞浮立」「三島神社の海上神興渡御」
福岡県 「玉せせり」「博多祇園山笠」「小倉祇園太鼓」「八幡古表神社の傀儡子舞」
大分県 「本場鶴崎踊大会」「国東の修正鬼会」
熊本県 「藤崎八幡宮大祭」「阿蘇の虎舞」「御田植神幸祭」
宮崎県 「臼太鼓踊」「高千穂の夜神楽」
鹿児島県 「市来の七夕踊」「十五夜ソラヨイ」「弥五郎どん祭り」「川内大綱引」

 どれも非常にユニークなものばかり。こういった祭りを見ながら九州を一周できたら、さぞかし面白いだろう。元々日本は八百万の神の国。各地に残る祭りや伝統芸能も、同様の数があるだろう。こういった特色が日本の魅力の一つでもあると思う。

 観光を満喫した後に唐津の中心部に移動し、81番大聖院と80番鶴林寺を参拝して寺巡りは終了。今夜は最後のキャンプになるので、場所は豪華にしようと日本三大松原の「虹の松原」を選んだ。

 広い松林は海からの風の影響でどれも斜めに生えており、ビーチには松の子供なのだろうか、ブロコッリーみたいな植物が至るところに生えていた。風が強かったがビーチにテントを張り、産地限定の麦焼酎「壱岐」をお湯割にして飲み、体を温めて生き返った。

 今日も冷たい風が吹いてたが、特に玄界灘付近は寒かった。本格的な冬になり、軽装備で旅するのもそろそろ限界だなと思った。だが残すはあと1日。明日にはいよいよゴールできる。今夜は前夜祭だと「壱岐」を一気に飲んで、最終日の英気を養った。

[この日の写真]




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