カエルの歌が聞こえてくるよ (福岡〜佐賀) 2011年11月22日


 筑後広域公園で朝目覚めるとかなりの冷え。手足はかじかんで吐く息は白く、地面にも霜が降りるようになった。もう完全な冬だが、それもあと4日ほどの辛抱だ。
 相棒のブラザー・カブは宮崎県でブレーキを修理して以来、トラブルなしで活躍している。このままの調子で頼むぞと公園を出発し、まずは国道209号線で北上。久留米市の中心部で国道210号線へ進み、田主丸町で5番大師寺を参拝した。

 次の6番南淋寺に行く途中で、朝倉の三連水車を見ていった。現在も使用されているこの水車が変わっていたのは、木製ではなくステンレス製だったこと。見た目はまるで機関車の車輪で、動力も自然ではなくモーター駆動式と、やけに現代的なものだった。

 最初に設置されたのは1789年なので、何度か作り直された末にステンレス製になったのだろうと解釈したが、実はこれはレプリカ。本物である木製の水車は、ここから少し下流にあったのだが、それを見ることなく立ち去ってしまった。

 南淋寺の周辺には、高さ2m位の木が多く植えられている畑がいくつかあった。何を栽培してるかは分からなかったが、木に出来た全ての実にビニール袋が被せられていた。これが遠くからだと白い花が咲いてるように見えたのが印象的だった。

 甘木にある7番興徳院の周辺は、和菓子のような甘い匂いが立ち込めていた。近くに和菓子工場があるのだろうか、もしくは土地の名前になってる甘木という木でも生えてるのか、理由を知りたかったが尋ねる人がおらず、その匂いは謎だった。

 旅行中の毎晩の友は酒とラジオ。この時期ニュースで話題になっていたのは、日本が環太平洋戦略的経済連携協定であるTPPへ参加するかしないかという問題。呑気な旅人である私にはその問題の深刻さがイマイチ分からなかった。

 それでも「参加断固反対」という抗議文を周辺の畑で目にした時は、農家にとってこれが大問題であることを実感した。
 しかし、私にとって問題だったのは、数日続いている下痢腹のPPP。バイク運転中に叢や森に入るか入らないかが、常に頭の中で議論されていた。

 今まで訪れてきた寺では、参拝客おろか住職を見る事もほとんどなく、静かな寺はまさしく霊場だったが、次に行った3番如意輪寺は違かった。人が居たというだけじゃない。なんとここには蛙が大集合していたのだ。

 通称「かえる寺」と呼ばれるこの寺の境内には、至る所に蛙の石像があり、本堂脇の部屋の中には様々な蛙グッズが所狭しと置かれていた。成仏出来ない水子の精子霊が、成長して蛙に化けたのだろうか。
 休憩場には住職のお母さんや奥さんがいて、参拝客に和菓子をご接待していた。彼女らに理由を尋ねたところ、事の始まりは水子ではなく先代の住職にあった。

 平成4年に先代が中国に行った際、「無事帰る」と縁起をかついで、翡翠で出来た小さな蛙の置物を買ってきた。
 その後、徐々に数を増やしていくと話題が広まり、その内に参拝客が無償で持ち込むようになった。蛙の輪唱は輪廻転生の如くエンドレスに続き、遂には5000匹にまで膨れあがったというわけだ。

 珍しくいた参拝客の理由は、八十八ヶ所巡りではなく蛙だったが、先代と現住職とその息子さん は、実際に歩いて八十八ヶ所巡りを経験していた。バイクで巡るだけでも大変なのに、それを歩いたとは凄い。

 メジャーな四国ならば、道中に無料の宿泊所や休憩場があるが、寺に人さえいないマイナーな九州ではそういった施設もないので、歩くのはいっそう大変なことだろう。
 今後に九州がメジャー昇格する為には、そういう設備を整えるとか、スタンプ集めの納経代を一時的に安くするとか、何かと工夫しなければ望みは薄いだろう。

 かえる寺を出た後、鳥栖市で佐賀県に入り4番不動院を参拝し、国道34号線を西へ進んで60番龍王院を参拝。その先で吉野ヶ里遺跡を訪れていった。
 小さな遺跡と思っていた吉野ヶ里だがこれが以外に広く、王の墓、神事の場所、リーダー層の住居、倉や市場、一般住居とエリアが分かれておリ、弥生時代の国がそのまま再現されていた。

 周囲には敵の侵入を防ぐ木柵があり堀もあった。北内郭にある主祭殿の外観は、まるで城の天守閣。天上部には牛の角のようなものがあり、それもまるでしゃちほこのようだ。堀や柵といった全てを含め、その後に作られる城の原型はここにあるのだろう。

 体験コーナーでは200円で勾玉作りが出来た。長方形の石を丸い形まで削っていくのだが、これがやり出すとなかなか止められない。納得いくまで熱中してると、1時間はすぐに過ぎていった。このままいてもこのムラには泊まれないので、自分の寝場所を探すためキリの良い所で出発した。

 鹿児島県の指宿で砂むし風呂に入って以来、温泉はご無沙汰。ここらでリフレッシュが必要だと佐賀駅前でタクシーの運ちゃんに聞き込みをし、近くの「佐賀ぽかぽか温泉」を見つけて一汗流していった。

 キャンプ地を探しながら国道34号線で西へ進んだが、どこにも目ぼしい場所が見つからない。結局、明日行く61番高野寺まで走り、その先にあった運動公園に落ち着いた。
 周囲は民家だったがやや視角になる塀があり、そこはテントとバイクがすっぽり入る見事なスペース。今日の私が帰る場所は、まさにここというポイントだった。

 3番の如意輪寺で見た大量の蛙グッズからは、「ゲロ、ゲロ、ゲロ、ゲロ」と歌が聞こえてくるようだった。その映像を思い出しただけでと、思わず輪唱してしまいそうになる。連られてゲロしないように、今夜の焼酎はほどほどにした。

[この日の写真]




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