無視して欲しい (鹿児島) 2011年11月13日


 九州南部まで来れば暖かいだろうと思ったが、朝からめっきり寒い。都城の町には朝靄がかかっていたくらいだ。
 市内で41番天長寺を参拝して国道269号線を南下し、ようやく鹿児島県に入った。この先に寺はないが、ここまで来たら本土最南端の佐田岬を拝みたい。100km走らなければならないが、その後の展開は考えてある。天気も良いのでちょうどいいツーリングだ。

 269号線をしばらく南下すると、「弥五郎どん」という高さ15mの銅像が立っていた。鹿児島といえば西郷どんは有名だが、この男の名前は聞いたこともない。興味が沸いたのでバイクを停めて近くまで行ってみた。

 弥五郎どんは300歳の長寿を誇り、6代天皇に仕えた竹内宿弥か、隼人族の首領ではないかと言われている者。その伝説を後世に伝えようと、地域おこしのシンボルとしてこの銅像が建立されたようだ。毎年秋には弥五郎どん祭りも行われているというので、この地では英雄として有名なのだろう。

 さらに269号線を南下して、鹿屋で航空基地史料館に寄って行った。敷地内の外には様々なタイプの航空機が実物のまま展示されており、無料で見ることができた。
 史料館内では日本海軍航空隊の歴史や、神風特別攻撃隊に関する展示などが見れるようだったが、過去に知覧を訪れた事があるので、これはパスした。

 標的に向かう特攻隊の如く、無心で269号線をひた走り、県道68号線と566号線を経て本土最南端の佐田岬へ到着。東京からここまで約2週間。達成感もひとしおだった。
 展望台にいく手前の駐車場には、最南端の電話ボックスがあった。ここから電話をしようと思ったが、使用出来るのはテレホンカードのみで断念。今時テレホンカードも持ってる人間がいるだろうか。小銭が使えなきゃ、こんな物があっても意味がないだろうと思う。

 最南端まで来たが戻るのは、途中で通過した根占港まで。ここからはフェリーで西側の指宿市へ移動する。調べていたフェリーの時間は15時。14時には根占に着いたので、近くのA−COOPで酒や食料を買い込み、30分前に港へ行った。
 すると、フェリーがまさに出発寸前。なんと出発時間は15時でなく14時半だったのだ。もう5分遅れていたら乗り過ごしていたところだった。

 40分の船旅で山川港に到着。指宿は砂むし風呂で有名なことは知っていた。山口県の下関で銭湯に行って以来、4日は体を洗ってない。ここで一汗流そうと、料金の安そうな国民休暇村で砂むしを堪能した。

 入浴は専用の浴衣に着替え、掘られた穴で横になって砂に埋まる。時間は大体15分。サウナと違ってあまり暑くないだろうと想像していたが、これがジワジワト効くものでかなり発汗があった。砂の後は浴衣を脱いで普通の風呂にも入れるが、砂風呂は1回きりしか入れなかった。

 今夜の寝床探しは手間が省けた。休暇村の向かいには、環境庁が管理するエコキャンプ場があったのだ。入口には鎖がされていたが、バイクなので難なく侵入。絶好の場所だが風が強くて寒かった。

 テントを張った近くから見渡せたのは、干潮時に渡れる無人島。その景色をつまみに焼酎で一杯やっていると、軽トラがやって来て男が2人降りてきた。その1人は砂むし風呂で、客に砂をかけていた係員だった。

 話を聞くと、ここは休暇村の土地なので、受付で許可を取ってくれという。だが、使用するのは有料だった。そのくらいの金は持ってるが、私は有料キャンプ場を使う気はない。こういう場所を使うのは、何だか無駄としか思えないのだ。なので、ここは止めて別の場所に移動する事にした。

 どこに行こうか考えてると、少し手前に森があったのを思い出した。行ってみるとそこはオーストラリアの森という公園。こちらは管理人がいる気配もなく、内部の視角なら人目にも付かない。
 既に一杯やってるので、もう移動するのは面倒。そこで、暗くなるのを見計らってテントを張ることにした。

 こちらでは追い出されることもなく、砂むし風呂のように、テントの中で横たわってのんびりすることが出来た。大体キャンプ場で見回りに来たのは砂むしの係員。風呂では蒸してくれたのだから、キャンプする事も無視して欲しかった。

[この日の写真]




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