江戸時代の名残 (兵庫〜岡山) 2011年11月6日


 降っていた雨も夜中に止み、今日は天気が回復。朝飯を作りながら日程を決めようと文章地図を探したが、それがない事に気付いた。
 昨日この平磯芝生広場に来るまでは確か見ていたはずだ。まさかどこかで落としたのか。この地図なしでは、この先に訪れる7つの宿場への行き方はまったく分からない。

 クリアファイルに入れた文章地図を濡らしたくないと、昨日は上着の中に入れてズボンのベルトで押さえていた。バイクに乗ってる時は落ちにくいはずなので、可能性があるのはこの公園内をウロウロ歩いて回った時。

 すぐに辺りを探してみたが見当たらない。やはり途中で落としたかと諦めようとした時、公園の片隅に落ちているのを発見した。旅の神様は私を見放してはなかったようだ。
 もし見つからなかった時は、自宅に電話してパソコンを開いてもらい、ファイルに残してあるその文章を読んでもらおうと考えていた。同じ失敗は繰り返さぬよう、クリアファイルはバイクの前かごにゴムバンドをして挟む事にした。

 平磯芝生広場を出発してまず到着したのが明石宿。駅近くにある「魚の棚」という明石の台所である商店街を楽しみにしていたが、着いたのが8時だった為、まだどこの店も開いてなく閑散としていた。食べたかった明石焼きもお預けだ。

 昨日の雨で濡らしてしまった文章地図は、読みにくい箇所がけっこうあったが、何度も曲がって行くような複雑な場所がなかったのでどうにかはなる。それでも、次の加古川宿に行くのには随分迷った。

 加古川名物の「かつめし」を食べようと思っていたが、時間が中途半端だったのでこれも断念。代わりに陣屋跡の隣にある「人形の家 陣屋」で、店主から街道にまつわる話を味わうことができた。

 姫路へ向かおうと国道2号線をひたすら走り、「御着」という信号を過ぎた。何だか聞き覚えがある名前だなと、しばらくした先で地図を見ると、御着宿を抜かしている事が発覚。あやうく姫路まで行ってしまうところだった。
 その姫路では世界遺産の姫路城を数十年振りに見れると思いきや、何と工事中。外観が全て被われた風景は、なんとも情けないものだった。

 文字が滲んだ文章地図なので正條宿に行く時も迷ったが、そのおかげで宮本武蔵の生誕地である宮元公園を発見。ドラマや漫画などで武蔵はイイ男に描かれるが、そこにあった小さな肖像画は、頭が禿げ上がったギョロ目のオッサンといった風貌。

 武蔵は身長180cmほどの巨漢だったらしいが、ある本によると、それは一種の巨人症だったという説もある。重い刀を2本も振り回せたのはその体だから成せた技で、後世に二刀流が普及しなった理由もそこにあるようだ。

 今回の旅はGPS機器で軌跡を記録している。私が使用しているのは腕時計と一体になってるものだが、その充電はUSBのみなので、単三電池4本で動くUSB充電器で毎日充電している。これはiPodや携帯の充電にも使えるので便利だ。

 バイク旅は単調なのでiPodで音楽を聞きながら走ってみたが、回りがうるさくて音が聞こえず一度きりで止めた。退屈になる夜のテントでも使ってない。耳を塞いで周囲の音を聞こえなくするのは、ワイルドライフでは自殺行為。常に耳を研ぎ澄ませ危険を察知してなければならないのだ。

 のどかになった街道を淡々と走り、有年宿の先で船坂峠を越えて岡山県に入る。片上宿近辺には備前焼の窯元が多くあり、宇佐八幡宮の狛犬も備前焼で作られていた。
 陶芸体験も出来る「備州窯」に寄ったが、時間がないので体験は断念。グラスや椀などがお手ごろ価格で売られていたが、
 驚いたのは店頭に飾られていた大きな皿や壷の価格。100万円もするものがある。一体誰がこんなものを買うのだろうか。私にはその価値がまったく分からない。

 岡山市内に向かう前に「はだか祭り」で有名な西大寺を観光し、その後に岡山城を目指した。その辺りで日も沈んで来たので、城の横に流れる旭川の土手をキャンプ地にした。

 私は古い洋楽が好きなのでiPodに色々詰め込んできたが、それを聞くことはなく、代わりに毎晩ラジオを聞いていた。
 AMから流れる音楽は昔の歌謡曲や演歌が多い。この時のチャンネルは忘れたが、番組では薬師寺で行われたカールスモーキー石井のライヴを特集していた。

 初めて聞いたので曲は何だか知らないが、多くが日本の童謡に似た音階でゆったりとした曲だった。今回の旅では江戸時代の名残を方々で感じてきている。やはり日本には演歌やこういった音楽が一番マッチすると改めて思った。

[この日の写真]




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