桂川で宴 (三重〜京都) 2011年11月4日


 いよいよ東海道も今日が最終日。ゴールの京都へは夕方には到着する予定。昨日、公園で溜めていた衣類を洗濯したので、それらを乾かしながら走っていく。方法は前かごとキャリアのボックスにゴムバンドをして、そこに衣類を挟んで走る自動乾燥だ。

 いかにも旧街道らしい狭い道を走りながら、次の四日市宿へ向かっていく。ここは抜け道なのか朝から交通量が多く、狭い道を車が全速力で駆け抜けていた。そういえば、ここはぜんそくで有名な四日市。それも当然のことだろう。

 石薬師宿と庄野宿では、広重の絵の場所が詳しく分からないので、代わりにてきとうな写真を撮った。次の亀山宿では運悪く亀山城が工事中。普段ならもう少しましな風景が見れるだろうが、シートに被われた城は情緒もへったくれもなかった。

 その次の関宿は東海道中でも一番見応えのある宿場だった。約2km続く街道には茶色で統一された古い家が並び、その多くの玄関や格子には、小さな額に入れられた絵が飾られていた。
 絵の内容は野菜や風景と様々で、作者の名前も書いてあった。どういった理由で飾られているのかは不明だ。

 東海道には名物の食べ物が多くあるが、この関宿にも寛永から370年作り続けられている銘菓「関の戸」や、江戸時代より旅人に愛された団子餅の「志ら玉」が売られていた。
 関宿は往時の面影を残す歴史的町並みとして、 昭和59年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に、昭和61年には「日本の道百選」に選定されている。

 私が訪れた2日後には、「東海道関宿街道まつり」が行われていたようだ。今年で26回目となるその祭りでは、時代行列や時代仮装コンテスト、特産品の販売などが行われていたという。タイミングよく見れたなら、もっとこの宿場を楽しめただろう。

 その先で鈴鹿峠を越えて滋賀県に入る。大きな峠としては箱根以来になるだろう。重い荷物を積んでる相棒のブラザー・カブでは、坂道はスピードが出ない。唸るエンジン音を聞いていると、故障するんじゃないかと心配になる。

 水口宿の絵の場所は、宿場よりずっと先の柏木小学校の辺り。近くに「北脇畷手と松並木」の石碑があるとの事だったが、見つからなかったので小学校の前にあった松の木を撮影した。
 隣の公園でゲートボールをしていた婆さんによれば、昔はここも松並木だったようだが、今はこの3本しか残ってないとのこと。

 石部宿の絵の場所も宿場から離れており、ほとんど草津宿に近かった。絵は菜飯と田楽が名物だった「伊勢屋」を描いたもの。近くにある「ほっこり庵」という店では、当時のレシピを元にしたその名物が食べれるようだ。

 そこから1号線に出てすぐの所に、草津宿に描かれている姥が餅屋が移転して営業していた。「うばがもち」は400年の伝統がある滋賀を代表する郷土菓子。餅は腹持ちがいいので、旅人に人気があったという。私は酒飲みで甘いものは苦手なので、道中で名物は一つも食べてない。

 最後の宿場である大津宿の絵の場所は月心寺。ここは茶屋の跡地で、広重の絵に描かれている走井の井戸は寺の中にある。当時の茶屋では井戸の水を用いた「走井餅」が売られ、餅と共に美味いお茶を出していたという。

 月心寺から県道143号線をひたすら走り、遂にゴールの三条大橋に到着。東京からここまで、江戸時代の人々が2週間で歩いた道のりを、わずか4日で走り抜けてきた。
 バイクのメーターでカウントした総距離は約611km。使用したガソリンは約16,5リッターで、合計は2300円。この料金で京都まで来れたのだから安いものだ。

 三条大橋に到着したのは15時。キャンプするにはまだ早かったので、行った事がなかった錦市場を観光することにした。
 京都の台所であるこの市場には、魚や京野菜などの生鮮食材や、乾物・漬物・惣菜などの加工食品を商う老舗・専門店が軒を連ねていた。
 市場の奥には沢山の提灯がぶら下がった錦天満宮もあった。国内外問わず多くの観光客が訪れており、市場の活気と相まってけっこうな賑わいだった。

 今夜は東海道を走破した宴だと、市場で地酒と鱧(はも)を購入して桂川へ向かった。川沿いにはキャンプスペースいくらでもあったが、マラソンや散歩やらで人通りが多い。
 昨晩みたいに悪ガキに睡眠の邪魔されるのは嫌なので、さらに川沿いを走って誰も来なそうな茂みにテントを張った。

 冷やしてもシャーベットにしても美味いと、酒屋の姉さんが言っていた地酒の「玉之光」で喉を潤し、鱧をつまみに東海道走破の宴をささやかに上げた。今日で第一部の旅は終了。明日からは西国街道を走る第2部の旅が始まる。

[この日の写真]




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