日本橋から出発 (東京〜静岡) 2011年11月1日


 東海道の起点は東京の日本橋。私の自宅は神奈川なので、まずそこまで行く必要があった。自宅を早朝に出発して日本橋へ向かう手段もあったが、朝早くに日本橋から旅をスタートしたいと考え、前日の夜に近くでキャンプすることにした。

 田舎ならテントを張る場所を探すのは安易だが、都内となるとそうはいかないので、事前に地図を見て公園を調べておいた。その1つの日比谷公園は敷地は広いが皇居の側なので、警察官が多くいたため却下。

 もう1つの浜町公園は小さかったが、オフィス街からは離れていたので問題はクリア。公園の隣にはホテル東横インがあったが、こちらはゲリラキャンプなので無料。迷わずそこにテントを張って朝を迎え、スタート地点の日本橋に向かった。

 今回のバイク旅は九州までの長旅だが、まずはここ日本橋から京都までの東海道五十三次が第一部。53の宿場を巡っていくが、メインはそれよりも歌川広重が絵を描いたと思われる場所で写真を撮ること。予定では京都まで4日間の日程だ。

 宿場巡りは旧道を走るので、全てのルートが決まってくる。そこで、出発前に宿場から宿場へのアクセス方法を、それぞれ3行程の文章にして5枚の紙にまとめておいた。
 同様に広重の絵も全て縮小してまとめ、2枚の紙にプリントアウト。普通の地図は持って来なかったので、この文章地図だけが頼みの綱になる。

 バイク旅は初めてだが、原付なので自転車旅とそう大差ない。小回りも効くし、降りて押せば歩行者になるので、一通や進入禁止にも対処できる。
 もう一つ初めてなのが冬の旅。私は寒さが苦手だし、バイクとなるとそれも倍増する。そこで、防寒防水スーツを基本の服装にして、走行中と朝晩の寒さを凌ぐことにした。

 ヘルメットは半帽をチョイス。雨の日は寒いが、音が聞こえにくいフルフェイスよりはいい。手袋は建設関係の作業着店で買ったゴム付きの軍手。これも雨の日は濡れるが、指の感覚がなくなる皮の手袋よりはマシ。靴は雨に濡れても平気なブーツを選んだ。

 キャンプ道具一式は、大きな工具ボックスに入れてキャリアに搭載。食料と衣類はボストンバッグに詰めて前かごに載せた。
 雨の日はかごにカバーを掛けるだけで済むが、頻繁に見る文章地図はそうはいかない。その対策にはクリアファイルを用意した。

 旅の相棒には名前が必要なので、バイクはブラザー・カブと命名。この相棒と共に起点の日本橋を出発し、順番に宿場を巡って行った。
 原付はフルスロットルなら60kmは出せるが、それはエンジンの故障に繋がり兼ねないので、平均時速40kmで進んでいく。

 走るルートの旧街道は細かく調べたわけでないのでてきとう。本格的に街道を辿りたければ専門的な地図がいるだろうし、歩かなければ意味がないだろう。
 歌川広重の絵の場所は大体分かっているが、絵とそっくりな景色が残ってるのは少ない。そもそも描かれたのは江戸時代だし、デフォルメされたものも多いからだ。それでも、そこで似たようなアングルを探すのは結構面白い。

 神奈川の平塚や小田原辺りでは、宿場巡りをする年配の団体を数回見掛けた。おそらくそういったツアーがあるのだろう。
 出発前に東海道五十三次をネットで調べた時も、歩いて全ての宿場を旅したというホームページが多くあった。同様に広重の絵の場所を訪れている人もいた。東海道の旅は結構人気があるようだ。

 東海道で最大の難所は箱根の山越え。まあそれは徒歩での話だが、原付での山越えもノロノロのスピードになった。ギアは1速で平均時速は15km位なので、唸るエンジンを聞いて壊れるんじゃないかと心配した。
 今回の旅は相棒のブラザー・カブが壊れてしまったら、その時点で旅が終わってしまう。最後までどうにかもってくれと、次に訪れた静岡県の三嶋大社で祈願しといた。

 今日は左富士で有名な吉原宿まで巡り、予定していたキャンプ地の港公園に到着。目の前が富士山というロケーションの公園は、ベストなキャンプポイントだった。
 今日1日走ってみて、バイク旅のリズムや感覚を掴むことが出来た。1日の移動距離は日の出から日没までなので、大体150kmくらい。自転車と違って体をまったく動かさないので、腰がひとく痛くなる。これがこれから悩みの種になりそうだ。

[この日の写真]




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