蛍の光 (ダッカ) 2003年6月25日〜29日


 最初にダッカを訪れた時、ビザを15日間延長していた。手続きが完全に処理されてないのか、出国する前にもう一度オフィスに来いと言われていた。
 ミャンマーへのフライトは4日後なのだが、明日は祈りの金曜日で休みだし、明後日はホッタールというデモが行われる予定になっている。パスポート・オフィスも午前中しかやってないので、昨晩の間にはブラフモンバリアからダッカに戻らなければならなかった。

 最初に訪れたレストランに、またビールを飲みに行った。前回は合計金額が間違っていた事があった。まさか今回はないだろうなとビルを見ると、またしても計算間違い。
 二度目ともあり腹が立ったので、子供でもこれくらいの計算は出来るだろうと文句を言った。何もなかったら、少々のチップを置いていくつもりだったのだが。

 店を出ると物売りの子供が、葉で作った鳥のような物を買ってくれと寄ってきた。気分が悪かったので断り続けたが、よっぽどこの子供の方が堂々と金を得ようとしているなと思い、5タカのその鳥を買ってあげた。

 バングラデシュの最終日は、予定通りホッタールが行われた。これは全国規模の政治デモで、この時はバスやタクシー等を含め、車の運行が禁止されるので移動が困難になる。
 仕方ないのでどこにも行かず、ホテルでのんびり過ごした。周辺の店はほとんど閉まっていたが、バスやリキシャは何台か走っているようだった。

 部屋で休んでいると外で「パン」という大きな音が聞こえた。何かあったなとホテルの屋上から通りを見下ろすと、道の真中に燃え上がったタイヤが置かれていた。近くで見ようとホテルを出ると、火をつけた男が警察に連行されていた。

 その後も部屋で休んでいて、同じような音を何度も聞いた。市内のどこかでは、大掛かりなデモが行われていたのだろう。
 明日はダッカから飛行機に乗り、隣国ミャンマーのヤンゴンへと発つ。バングラデシュの情報はもう必要はなかったが、暇潰しにガイドブックを読んでいると、バングラデシュに古くからある民間信仰のバウルについての記事が目に付いた。

 ヒンドゥー教にもイスラム教にも属さないバウルは一切の経典を持たず、祈りや修行という手段の代わりに歌を持っている。クルナ地方のクシュティアには、110年以上生きた宗教詩人のラロン・フォキールという人物がいた。
 彼が残した800もの詩は、バウルを信仰する多くの者に今でも崇拝されているという。掲載されていた詩はこのようなものだった。

 カースト、カーストとほざきやがっておかしな世の中だ。誰もがカーストの虜で、真実に目を向けるヤツはいない。
 お前が生まれた日、カーストなんてものを持っていたのか。ここに来て、一体どんなカーストをつかんだ。去って行く日は、何のカーストになるつもりなんだ。

 ちゃんと答えてくれ。バラモン、チョンダル、チャマル、ムチ。全てのカーストの人間が同じ水で清められるのに、皆この事実から目を背けようとする。死の迎えからは誰一人逃れられないのだ。
 隠れて売春婦のところで飯を喰ったからって、宗教上何か障りがあるのか。ラロンは考える。カーストって何だと。この悩みからは抜け出せそうにない。

 バングラデシュの4週間の旅は、どこへ行っても人に囲まれる日々だった。疲れたり腹が立つ事もしばしばあったが、地元の人々との触れ合いは、観光地で建物などを眺めるよりはるかに楽しく、思い出深い経験になった。
 最終日がホッタールで町が静かだったので、この国の締めには物足りなさを感じた。それは騒々しかったパチンコ屋で、最後に蛍の光が流れるような気分だった。




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