葬式に参加 (ブラフモンバリア) 2003年6月24日〜25日


 目的のキルトンも聞き終えたし、今日の夕方にはダッカに向かう予定だったので、それまでブラフモンバリアの町を散策する事にした。
 リキシャに乗って訪れたヒンドゥー教のマハデブ寺院の中には、4mくらいある大きなシヴァ神の石像があった。その前で爺さんが座り込み、熱心に祈りを唱えているのが印象的だった。

 マハデブ寺院の近くにあったメルラショシャンいうヒンドゥー寺院を訪れると、大勢の人間が集まっていた。何が行われてるのか聞いてみると、それは葬式だった。
 寺院の片隅には死体を火葬する場所があり、亡くなった婆さんが横たわっている。すすり泣く女たちに囲まれて、火葬する前に婆さんの死体が洗われていた。

 その様子を見ていると、亡くなった婆さんの孫だという若者に話し掛けられ、ぜひこのヒンドゥーの葬式を見ていってくれと言われた。
 婆さんが亡くなって悲しんでると思ったが、若者はあれこれと私に質問してくる。次第に話はいつものように、この国の貧困や日本へ行くビザの事情などになった。

 この話題をされた時は、未来があるから前向きな考えをろとアドバイスをしていた。しかし、この現状で生きてる側としては、そんな答えでは納得出来ないのだろう。
 若者は最良の案を教えてくれ、何とかしてくれと悲願さしてくるので、私は神様ではないから、自分で頑張ってくれと、はっきり答えてあげた。

 寺院の中央には男たちが座り込み、オルガンのような音色の小さい鍵盤楽器と太鼓の演奏に合わせて歌っていた。マリファナを吸っている者もいて勧めてきたが、さすがにこの場でキマるのはマズイと断った。
 ヒンドゥー教の文化では死者へ歌を贈り、悲しみはマリファナを吸って和らげるのかと、葬式を眺めながら勝手に想像した。

 何度も話し掛けてきたおやじに死体の写真を撮れとまで言われたが、さすがにこれも遠慮した。同じヒンドゥー教でもインドのガンジス川にある火葬場では、写真を撮っているのが見つかるとトラブルになると聞いていたが、ここではまったく違うようだ。

 寺院で葬式を見た後で町を歩いていると、薬局店のおやじから声を掛けられた。ジョニーと名乗るこのおやじは日本語がかなり堪能で、過去に5年間東京に住んでいた事があり、居酒屋のつぼ八で働いた事もあると言ってきた。
 さっき会ったばかりなのに話が盛り上がると、自宅に招待すると言い出した。長旅の経験から得た勘ではこれには危険を感じなかったので、連れて行って貰う事にした。

 ジョニーの自宅は市内にある4階建てのマンション。そこでジュースやお菓子の御もてなしを受けた。部屋の中の家具などを見る限り、かなり裕福な暮らしに思えた。
 ジョニーの奥さんとその妹も自宅にいたのだが、恥ずかしいらしく私の前には姿を現さない。しかし、興味はあるのか、キッチンの方から何度も覗いていた。

 奥さんの兄貴の子供という6歳の男の子もいた。最初は警戒して近寄ろうとはしなかったが、この子供は時間が経つにつれ、次第に私の所へ来て話し掛けてきた。

 奥さんをどこかへ送るというので一緒に家を出た。後でまた薬局店で会おうという事になり、私もホテルへ戻って荷をまとめ、チェックアウトしてから向かった。
 店でジョニーおやじと話していると、ジャーナリストだという英語が流暢なおやじや、日本に10年住んでいたという日本語がペラペラなおやじなどが現れ、相手していくのが大変になっていった。

 ダッカへ向かう列車の時間が迫っていたので、全員に別れを告げ店を去った。日本に10年住んだおやじが、日本で受けた親切を返させてくれと、一緒にリキシャに乗って駅までついてきた。

 人が急いでいるというのに、おやじは駅前で「もう一泊しろ」「コーヒーを飲んで行け」と言いながら、しつこく手を離さない。何だか違う理由があるようにも思え、最後はその手を振り解いて別れを告げた。あと5分このおやじに付きまとわれていたら、列車に乗り遅れていただろう。




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