過ぎたことは水に流す・後編 (群馬) 2012年4月.29日


 ボートは細長い形の2人乗りで、長さは3m。自分は後部に座り、前部にはバッグパックなどの荷物を乗せていた。
 持参した水だけでも10リットルと荷物はやや重い。2人乗りなので積載量は問題ないが、荷物のバランスが悪くてボートが傾くので、スタートしてすぐ岸に付けて調整し直した。

 川面に飛び出る岩をかわしながら、ラフティングさながらに下っていく。過去2回の川下りはゆるやかな流れだったので、これはスリルがあって面白い。
 2時間程下って坂東橋を過ぎると、その先に堰があった。相模川や多摩川にも堰はあったが、こういう場合は一旦岸に上がり、荷物を全て持ち運んで回避する。ここも同様にして回避することになった。

 500m程先に移動して再出発。スタート時のように流れが速い場所は乗りにくいので、比較的流れが緩い場所を探した。しかし、目前には大きな岩が待ち構え、川も飛沫を上げている。先へ進むには2,3個の岩をかわす1つのルートしかなかった。

 頭の中で進むルートをシミュレーションし、意を決めてスタート。すぐの大岩を上手く回避したが、次の難所へ差し掛かった時にボートが傾いた。
 バランスを直そうとパドルを川に入れると、「バギッ」という音がしてパドルが折れた。その直後、ボートが転覆して自分も川に投げ出された。

 瞬間的にボートに手を伸ばしたが、反対になったボートに掴む所はない。ロープで自分の体と繋いでないので、手が離れたボートは先へと流れていった。
 とにかく岸に上がらなければと、流されながら必死に泳いだ。ライフジャケットを着ていたので溺れることはなかったが、それでも強い流れで岸に上がるのも大変だった。

 岸で落ち着いた頃、主無きボートは既に遥か先へと流れていた。もはやどうすることも出来ない。しばらく呆然となり、小さくなっていくボートをだた見つめていた。
 流れていったのはボートだけじゃない。そこに乗せていたキャンプ道具や食料、携帯電話など全てだ。サンダルも流されたので裸足。幸い財布だけはポケットにあった。

 残されたのは着ているライフジャケットだけ。これだけ持っていてもしょうがないので脱ぎ捨て、Tシャツに短パンで裸足といった格好で、仕方なく家に帰る事にした。
 茂みのような岸から上がるとそこにはグラウンドがあり、中学生か高校生の女子達がサッカーの試合をしていた。利根川で悲劇にあった私は、サッカーを見ながら1993年の「ドーハの悲劇」を思い出した。

 グランドの横には遊歩道があり、向こうから爺さんが歩いてきた。近くにある駅を聞いてみると、歩いて30分という。
 こうなったいきさつを爺さんに説明すると、家が近くだから車を取ってきて送ってくれるという。近くの駅は八木原で渋川の次。たった一駅分しか川を下ってなかった。

 渋川駅からバスで帰る事を爺さんに話すと、渋川まで送ってくれることになった。ついでに途中にあった靴屋に寄ってもらいサンダルを購入。爺さんは親切に交番にも寄ってくれたので、見つかることはないだろうが一応紛失届けを出しておいた。

 4泊5日の予定だった利根川下りは、僅か2時間で終了。その日の内に渋川駅からバスに乗って自宅へと戻るという結末だった。爺さんの話では、川は雪解け水によって流れも速く、通常より30cmは増水していたという。
 ロープを忘れずにいたら、転覆してもこういう結果にならなかっただろう。まあ、まさしく全てを水に流してしまったのだから、嫌なことは忘れてしまうだけだ。

 翌日からのゴールデン・ウィークは天気が崩れ、関東では大雨が降ったり、竜巻が発生して死者なども出た。
 もし、転覆せずに川下りを続けていたとしても、大雨でさらに水嵩は増しただろうし、ひょっとしたらその竜巻に巻き込まれて、千葉の銚子に行くどころか、東北辺りまで飛ばされていたかもしれない。




Copyright (C) 2019 諸行無常 All Rights Reserved