日本のコーチ現る (イギリス) 1998年6月1日


 ロンドンのビクトリア・コーチ・ステーションは、イギリス国内各地へのバスが発着するターミナル。私はそこにオランダのアムステルダムまでの往復券を買いに来ていた。
 ひと月前にロンドンに降り立ち、イギリスを一周してきて英語力も少しは上達した私だったが、最初にここを訪れた時はかなり困った。

 その時はロンドンの西にあるバースへの切符を買うのに「バースまでのバスのチケット」と何度も繰り返したのだが、このバースの単語が通じず、最後には地図で示して理解されたなんて事があった。

 今回の目的地はオランダのアムステルダムなので、発音にややこしいところもない。何も問題なく買えるだろうと、旅の最初に作ったバスの割引カードを提出して、アムステルダムまでの往復券をくれと告げた。

 すぐさまチケットが出てくるだろうと思ったが、係員はカードを指差しながら私をチラチラと見て、日本のどっから来たんだと質問してくる。割引カードに私の国籍が書いてあったので、それを見て分かったのだろう。

 この質問は他でもよくされたが、私の住む神奈川県を知る者は少なかった。この時も、まあ知らないだろうなと思いながらそれを告げると「横浜市か、川崎市か」と、いつもは出てこない返答があった。

 まさか私の住む町の地名までは知らないだろう。そう思いながら言ってみると、係員はそこなら友達がいると答えてきたのである。意外な答えに私はびっくりした。地名も知っていて、なおかつ友達までいるなんて。
 係員はチケットの手配はそっちのけで手帳を取り出し、住所録のページを開いて見せてきた。確かにアルファベットでローカルな地名が書かれてる。

 私が驚きと喜びの表情を見せると、係員はさらに得意げになり始めた。そして、アドレスに書かれている女友達の名前と住所を順番に読み上げていった。サオリは東京。カナコは京都。ユウコは博多・・・。もう私のチケットの事などそっちのけである。

 そろそろチケットが出てくるかと思ったが、次に出てきたのはこの係員が日本を旅行した時の写真。それは東京浅草の雷門や、居酒屋、カラオケボックスといった様々な場所で、日本の女と一緒に写したものだった。
 どうだと言わんばかりの得意げな顔をしていた係員は、過去の旅を懐かしみだしたのか、今度は写真の女たちを紹介しだした。トコモは千葉。アキコは大阪・・・。

 このまま聞いていたら日が暮れそうだったので、私はすかさず話題を切り替えた。
「日本を一周したんだね。私もイギリスを一周してきたよ」
 しかし、私のイギリスの旅には興味がまったくないらしく「そうか」と一言で片付け、今度は日本を旅した時の電車の切符を出してくる。私のアムステルダムの切符の事などは、もう彼の頭の中からは完全に消えていた。

 電車の切符に記された地名は、東京、大阪、京都、福岡など様々。さらに、机の中から先々で買った土産なども出し始め、それにまつわる思い出話が始まった。
 逐一聞いたのでようやくチケットが出るかと思いきや、次に出てきた物はなんとドラエモンのぬいぐるみ。

 係員の顔には勝ち誇った笑顔が浮かんでいる。そして手帳を覗きながら、再び女の名前と住所の暗唱が始まった。
 こうなったら彼の気の済むまで付き合うしかない。日本の女が好きなんだなと私が言うと「大好きだ」とほくそえみながら、係員はしみじみと頷いていた。

 係員が一息ついたので、過去の旅話はもう満足したのだろう。そろそろチケットが出ると思ったが、次に出てきたのは好きな食べ物の名前だった。すし、スキヤキ、天ぷら、焼き鳥、きし麺・・・。きし麺が出てきたときには、もう手がつけられないと痛感した。

 このまま係員を暴走させると、さらにエスカレートするに違いない。おそらく、座禅とか言ってまるで人の話を聞かなくなったり、忍法とか言ってこの場から雲隠れするだろう。早いとこ私のチケットの事を思い出させなければと、強めに言葉を投げかけた。

「それでバスの時間は一体何時なんだ!!」
「明日、ここ、九時。帰り、四時」
 日本語で答えてきた彼の頭の中は、もはや完全に日本一色に染まっていた。

 早く市内観光へ行きたかった私は、急いでいるから早くチケットをくれと催促した。そこまで言うと、ようやく係員はチケットの手配を始めた。
 この時はフランスでサッカーのワールド・カップが開催される一ヶ月前だった。係員はチケットを手配をしながら、ワールド・カップは見ないのかと聞いてきた。

 開催する前に日本に帰るんだよと私が説明すると、係員は友達と日本対ジャマイカ戦を見に行くんだと自慢してくる。本当にどこまでも日本が好きな係員だった。やっとチケット受け取った私はこれ以上何か出されても困ると、足早にその場を去った。

 チケット買うのに英語が通じずに困る事もあれば、話が判り過ぎても困る事もあるものだ。ロンドンに最初に降り立った時は、町にゴルファーやサッカー選手が姿を変えて潜んでいた。このビクトリア・コーチ・ステーションの売場には、日本の事をやたらと教えるコーチが潜伏していた。




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