序章 2002年


 仕事を辞めたので時間だけはたっぷりある。どこかへ旅がしたくなったので何の計画もないまま列車に乗り、とりあえず日本の南へと向かって行った。
 このまま九州の最南端佐多岬まで行って、そこから徒歩の旅でもしてみるか。そんな漠然とした旅のアイデアが浮かんでいた。何をするにせよこの先に必要になるだろうと、その日の晩に降り立った大阪の道頓堀で、テントと寝袋を購入した。

 翌日、列車に乗って再び南下。「まもなく岡山駅に到着です」という列車のアナウンスを聞いた時に、ふと瀬戸大橋や四国の存在を思い出した。そういえば過去に会った四国出身の奴が、四国には八十八ヵ所巡りというものがあり、それを巡れば四国を一周出来ると話していた。
 四国へは一度も訪れた事がないし、その八十八ヵ所巡りにも興味が湧いたので、南へ下るのは止めて岡山から四国へ向かうことにした。

 八十八ヵ所を自転車で巡ってみてはどうだろうか。宇野線で香川県の高松へと向かう間に、そんなアイデアが閃いた。テントと寝袋は大阪で買ったのでキャンプは出来る。しかし自転車はない。ならば自転車は四国に着いたら中古で購入しよう。八十八ヵ所も訪れる場所があるんだから、その道中で色んなものを見れるに違いない。

 そんな期待を胸に抱きながら、高松駅の観光案内所で八十八ヵ所巡りの地図を貰った。てっきり観光名所を巡るものだと思っていたが、この時に初めて知ったのである。これが寺巡りだということに。

 観光案内所の係員は地図をくれ、八十八ヵ所巡りは徳島県にある霊山寺がスタート地点だと教えてくれた。地図に記された八十八ヵ所の寺には番号がふられ、順番に巡っていけば確かに四国を一周できるようになっていた。

 既に乗りかかった船だし、この寺巡りでも四国を一周する事に変わりはない。覚悟を決めた私は自転車で一周した後の事を考えて、瀬戸大橋や淡路島へ掛かる橋について聞いてみた。
 すると、二つの橋は自転車での通行は出来ないと言われた。自転車で走れる橋は一つだけ。それは愛媛県の今治市から広島の尾道まで続くしまなみ街道だった。

 1番の寺がある徳島県からスタートして順番に回っても、一周した後に本州へ行くには、しまなみ街道がある愛媛県今治市までかなりの距離を戻らなければならない。地図を見ると今治市には八十八ヵ所の50番台の寺がいくつかあった。
 こちらをスタート地点にした方が何かと後の都合がいい。そう考えた私は1番の寺がある徳島県からのスタートは止めて、電車で高松から愛媛県の今治へと向った。

 今治駅に到着して駅前をうろついていると、一人の若者に声を掛けられた。話をしてみると若者は北海道出身の旅人。自転車で四国を旅しており、既に二周もしたという。
 おまけに四国へ来る前には、沖縄と九州も自転車で一周。さらにその前は中国、ロシア、ヨーロッパ、アジアを放浪し、カナダやアメリカも訪れていた。

 先々でバイトをしながら金を稼ぎ、移動も主にヒッチハイクだったので、ここまで3年旅を続けているが、自分の金は10万円位しか使ってないとのことだった。
 若者に今夜はどこに泊まるのかと聞くと、近くの公園で野宿するという。自転車での旅情報も聞きたかったし、場所がよければ私もその公園でテントを張ろうと、一緒に行くことにした。

 公園で引き続きその若者の過去の旅話を聞いていたのだが、なぜか話に信憑性を感じることが出来ない。3年も旅を続けているというのに荷物は小さなリュック一つで、寝袋だけしか入っていない様子。
 そもそも旅人が放つ独特のオーラがまったくない。外国での一人旅の経験なら私にも少しはあったので、特にそう感じたのだ。

 若者が一番強調していたのは旅の経験談よりも、九州で稼ぎのいいバイトがあるという話。それにはパートナーを連れて行く必要があるらしく、どうやら私をそのバイトに誘いたいようだった。何の仕事をするのかと聞けば、行ってみないと分からないと言う。これもまた胡散臭い話であった。

 自転車での四国一周をここから始める事は決定していたが、まだ準備を何もしておらず、おまけに少々の現金を抱えていた。今夜ここで寝てる間に、この若者に金を盗まれる可能性があるかもしれない。そんな予感がした私は「やっぱり今夜は宿に泊まる」と公園を去り、駅前のホテルに移って明日からの鋭気を養った。


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