巌流島の決闘 (二ツ亀〜姫崎) 2010年5月19日


 トキの森公園から両津の町へ戻るのには、どこを歩いていこうか迷った。一つはバスで来た道を引き返すコース。こちらへ進めば加茂湖畔を歩けるし、途中には「芸能とトキの里」という道の駅や、「本間家能舞台」など観光する場所がある。だが、その途中にはホームセンターを見かけなった。

 もう一つはそれとは反対側へ進み、国道350号線に出て両津の町へ向かうコース。見所は何もないが、国道なのでホームセンターがある可能性が高い。
 今抱えている問題は故障気味のキャリー・カート。これを解消しなければ安心して歩くことが出来ない。そこで、観光よりもホームセンターだと、来た道とは反対方向の国道へ向かって歩いた。

 国道350号線沿いには「佐渡銘醸」という見学が出来る酒蔵があった。佐渡の酒はまだ飲んでないので試しに立ち寄るかと酒蔵に着くと、なんとその隣に待ち望んでいたホームセンターを発見。その名も「ムサシ」。私は巌流島で宮本武蔵を待つ佐々木小次郎と同じく「待ってたぞ武蔵。ようやく現れたか」という心境だった。

 武蔵はもう逃げも隠れも出来ないので、ひとまず酒蔵で一息つく事にした。酒蔵の見学は無料で客は私一人だったが、主人と思われるおじさんは丁寧な説明をしながら酒蔵を案内してくれた。

 ここのブランドは天領盃。珍しかったのがアルミのボトルに入った原酒が売っていたこと。これはアルコール度が少し高く、冷やしてそのまま飲むか、ジュースなどで割って飲むのが美味いと話していた。

 佐渡の酒が美味いのは、金北山の雪解け水を地下から汲み上げているからだという。その金北山の山頂には自衛隊のレーダーがあるらしい。おそらく北朝鮮などからの攻撃をいち早く察知するためのものだろう。

 佐渡の酒も購入できたので続いてムサシの店内を覗くと、今使っているタイプと同じキャリー・カートが売られていた。巌流島の決闘は武蔵の勝利だったが、この場合は待たされていた小次郎である私の勝利だ。

 新しいカートを購入して問題も解決。今までは相棒に「カート・ニバーン」という名前を付けていた。そのネーミングが悪いのか、この名前だと本物のカート・コバーンのように短命で終わるので、今回は新しい名前を付けることにした。

 長く続いて欲しいという思いで、こいつを「車引次郎」と命名。映画「男はつらいよ」で有名な寅さんシリーズは、30年ほど続いた全48作のロングラン。この「車引次郎」も同様にロングウォークしてくれるに違いない。

 雨の中を新たな相棒と共に出発し、国道350号線で両津港へ向った。両津では4日後に鬼太鼓のイベントが開かれる。このままのペースで歩けば2日後には小木港に到着し一周を達成できるので、その後で両津に戻ってくれば丁度いいタイミングだ。
 イベントが行われるのはおんでこドーム。場所を下見してみると隣は公園だったので、イベント前日はここにテントを張ろうと決めた。

 再び佐渡一周線を歩いて先を目指す。河崎から両尾までは「はまなす遊歩道」という全長3,2kmの道があったので、一周線でなくこちらを歩く。
 はまなすとは花のことだろうが、それっぽい花はどこにも咲いてなかった。だが、この遊歩道はローカルな雰囲気があり、なかなか歩き甲斐があった。

 今夜の寝場所には両尾のビーチも候補にしていたが、雨を凌げる東屋もなければ、これというポイントもなかった。あと1時間歩けば姫埼のキャンプ場に行けるので、痛む足を堪えて先へ進むことにした。

 姫先の手前には小島の津島神公園があったが、ここもキャンプポイントや東屋はなかった。この集落が変わっていたのは、家の壁に版画がやたらと貼られていたこと。理由を知りたかったのだが、人と出会わなかったので聞けずじまいだった。

 日本最古の鉄製灯台がある姫埼キャンプ場は1張1000円。管理人もいなく無料で使用できそうだったが、ここも雨を凌げる場所がない。
 どこかいい場所はないかと周辺を見ると、灯台の横にある展望台の下にスペースがあった。そこは雨も当たらないし、あまり人目にも付かない。ようやく安息の地を見つけることが出来た。

 今日は全ての判断が吉となり、色々なものを得ることが出来た。意固地になって歩くだけの旅を選んでいたら、サドのパートナーであるマゾになっただけで、得れたのは辛さのみだっただろう。
 巌流島の決闘で新たな相棒「車引次郎」を得た私は、ささやかな宴として、昼間購入した天領盃で勝利の余韻に浸った。

[この日の写真]




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