ラオスの素顔 (ウドムサイ) |
2009年7月27日~28日 |
当初の計画ではルアンパバーンの次は、ボートで行く以外に他に方法がないというムアンゴイを訪れ、そこからベトナムへを北上して中国へと向かう予定でいた。
想像するムアンゴイは山奥の村だったが、出会った旅人の多くがそのルートで進むと聞いていたので、おそらくそこも水着姿の西洋人やマリファナでキマッた連中がうろつく、もはや秘境でもないような場所のような予感がした。
何度も同じ顔と再会する一般ルートを旅するのもつまらない。メジャーな観光地にも飽きてきたので、ルートを変更してこのまま北上して中国へ向かうことにした。
国境の手前のルアンナムターまでは移動の時間が掛かるので、ひとまず中間にあるウドムサイで一泊することに。
ウドムサイへの道は、バンビエンからルアンパバーンの峠道よりもさらに悪路。おまけに乗ってるミニバンもポンコツ。スペアタイヤを途中で落としたり、足回りのボルトが緩んでキシキシ鳴ったりする有様。乗客は心配を他所に皆笑っていた。
乗っていたミニバンはルアンナムター行きで、ウドムサイで降りたのは私だけ。ルアンパバーンで出会った旅行者から貰ったウドムサイの地図を頼りに、バスターミナルから町の中心部へと歩いた。
こじんまりとした町には観光客が一人もいない。こんな環境を求めていただけに、状況とは裏腹に嬉しくなった。
飛び込んだ安宿も英語は通じなかった。部屋数の多い宿だったが、おそらくその時泊まっていたのは私一人。
部屋も宿も汚くはないのだが、共同便所の電気は点かない、部屋のカーテンを閉めようとしたらレールごと取れる、天井のファンのは物凄い音を立て回るという、まるでコントのような環境だった。
ウドムサイは国道1号線、2号線、4号線の3つが交わるジャンクションになり、北へ進めば中国、西へ行けばタイ、東へ行けばベトナムへと結ばれているので、ラオス北部における貿易の中心地でもある。
しかし、そんな活気は微塵も感じられず、町にあるルーサイ市場にも客がほとんどいなかった。市場ではどの店にもテレビが置かれており、ほぼ全店で同じ昼メロの番組を見ていた。女店員には商売なんかよりも、色恋沙汰の方が重要なのだろう。
かつて活気だった証なのだろうか、旧市場跡にはゴーカートやジェットコースターの残骸が置かれていた。しかし、そこは今では貧困者の溜まり場となっており、屋根がある建物の下では、テントを暮らしをする者の姿があった。
唯一貿易の中心地を感じられたのは、漢字の看板を掲げる中国商人の店が数軒あったことだけだ。
ここから中国の景洪行きのバスがあったが、バスターミナルで調べると現在そのバスは廃止。メンラー行きだったので、その便を利用することにした。
ネットカフェでメンラーの安宿情報を知りたかったが、中国系の店で買った「白酒」を夕方から飲んでいるといい気分になってしまい、いつのまにか眠っていた。
気が付いた時は既に夜の12時で、メンラーの情報どころか、ラーメンやメンマといった夜飯すら食いそびれた。それはこの先で沢山食べれるだろうが、何の情報もない中国の旅は、少々困難を極めそうな予感がした。