葬式と結婚式 (ニャウンシュエ) 2003年7月4日〜9日


 レンタルした自転車で隣のマイン・タウク村へ向っていると、前方に神輿のようなものを担いでいる一団が見えた。何やら鐘の音も聞こえてくる。祭りでもしてるのかと思い、ペダルを早めて一団に近づいた。
 神輿だと思っていたのは棺であり、団体の後ろの方から女のすすり泣く声が聞こえる。すぐさま、これが葬式であることを理解した。

 隣村に行く事などどうでもよくなり、この一団がどこへ行き、この後何をするのかを見たい衝動に駆られ、自転車を押しながら後をついて行く事にした。
 通りに出ている町の人々に見守られる中、一団は足早に歩いて行く。途中からは人しか歩かない狭い草むらの中も歩いて行った。

 到着したのは民家から離れた東屋で、その中に棺が下ろされた。周囲には草木が茂り、墓もいくつか見えた。
 ここで火葬するのかと思っていると、反対の方向から坊さんが3人やって来た。参列者が東屋の中に腰を下ろし始めたので、私も加わって一部始終を見ることにした。

 棺を挟んで坊さんたちと向かい合うように座り、しばららくすると真中の坊さんがお経を唱え始めた。
 印象的だったのは、お経がその場にいる人々と輪唱になっていた事。坊さんが唱えた言葉を人々も繰り返すのだ。15分程でお経は終わり、坊さんたちは去って行った。

 棺が開けられたので中の死者を見ると、そこに横たわっていたのは容姿から察するに10代か20代の青年。一人の女が泣き崩れ、死者の髪を撫でながらしきりに何かを語りかけていた姿は、心が痛くなる程だった。

 棺がもう一度担がれ裏の草叢へ運ばれると、男だけが後を追いかけてたので私もついて行った。裏で火葬するのかと思ったが、ここに土葬するようだった。
 あらかじめ掘られた穴の中に棺ごと収められ、土が被せられいく。集まった男たちが石を拾い穴の中に投げ入れていたので、私も同じ事をした。

 棺を運ぶのに使われていた竹の担架が解体され、小さな旗が付いた枝と共に棺の周りに立てられた。隣にも同じようなものが立つ場所があった。淡々と進んでいく作業に、驚きや戸惑いを感じた。

 複雑な気持のままニャウンシュエに帰った。自転車を返そうと町を走っていると、昨日飾り付けをしていたレストランでパーティーが行われていた。中を覗くと主役らしき着飾った男女がいる。どうやら結婚式のパーティーのようだ。

 しばらく見ていると、新郎の叔父さんが話し掛けてきた。よほど嬉しいのか二人を祝ってくれと中へ招かれ、新郎新婦を紹介された。
 10分前は死者の土葬に立会い、人間の死について考えていたが、ここは正反対の生と愛。すぐさま頭を切り替え、気持ちを込めて祝いの言葉を贈った。

 若い新郎新婦の後ろには、ビルマ文字が刺繍された真っ赤な布が掛けられていた。パーティーは酒や食事が用意されるような大々的なものではなく、テーブルには紅茶やジュース、お菓子が乗せられている簡素なもの。叔父さんはそれらも御馳走してくれた。

 空の雲行きと腹の具合が悪くなってきたので、パーティー会場を去り宿に戻った。今日は一日に葬式と結婚式に参加し、私の中には様々な感情が流れた。
 部屋に戻ると、強い雨が降り始めた合図と同時に腹も下り、私の中からも様々なものが流れていった。




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