序章 最古の登山道


 登山にはあまり興味がなく、今までに登った山といえば、神奈川県の大山に東京都の高尾山、それに屋久島の縄文杉と富士山が2回と数える程度しかない。たが富士山の2回目は0合目から登ったので、それだけは自慢出来る経験だった。

 富士山以外は日帰りの登山なので、山の中で泊まりながらの縦走はした事がない。一度くらいはキャンプ道具一式を背負っての縦走をしてみたく、やるならばその舞台は北アルプスと決めていた。
 そんな縦走に挑戦してみようとネットでルートを調べていた際、あるサイトで日本海から北アルプスに登った内容のものがあった。

 海からの登山という方法もあるのかと、今度はその内容で検索したところ、富士山を海抜0mから登った内容のサイトを発見。そこで知ったのだ。富士山に「村山古道」という最古の登山道があることを。

 富士山の登山道で一番遠いのは、吉田口の0合目だと思っていたので、そこから頂上に至った私は「富士山に登った」と自負していた。だが、海からのルートがあるとなると、まだ富士山を制覇したとはいえない。

 調べてみると村山古道は、1000年前の平安時代に開かれた歴史ある登山道。900年間は修験者たちに登り継がれていたが、100年前に大宮新道が切り開かれて以来は廃道になっていたという。

 倒木やイバラに覆われていた村山古道だが、2004年にNPO法人「シニア大樂 山樂カレッジ」の事務局長である畠堀操八氏らによって100年振りに復活。その内容が書かれた氏の著「富士山・村山古道を歩く」という本も出版されていた。

 村山古道のルートが知れないか検索してみると、本の出版社のHPで地図がダウンロード出来た。さらに調べると、このルートで登った人たちのHPも結構ある。
 情報を集めて日程を立ててみると、海抜0mからの富士登山は3泊4日で可能。しかも山小屋を利用せず、テントを張れるポイントもある。ここであるプランが完成した。

 それは、田子の浦海岸から村山古道で6合目まで登り、その先は富士宮ルートで頂上へ。帰りは吉田口から下山し、0合目の浅間神社まで歩く富士山越えだ。
 北アルプスを縦走するつもりだったが、この村山古道を知ってしまった以上、ここを歩かずにはいられなくなった。未知なる村山古道の冒険要素に、海抜0mから3776mまで山小屋を使わず歩くチャレンジ。これは実行するしかない。

 キャンプ道具一式を詰め込んだバッグパックの重量は20kg以上。重荷を背負って4日間も歩かなければならないので、いきなりやるのはさすがに無理がある。
 富士山の登山解禁まではあと1ヶ月。この計画は必ず成功させたいので、その間に神奈川県や東京都、静岡県の山で、1泊2日の縦走をトレーニングとして何度か行った。

 最初は酷い筋肉痛になった体も徐々に慣れていき、次第に登山にも面白さを覚えるようになった。そして7月1日に富士山の登山が解禁。8合目より上はまだ雪が残っているとの情報だったが、解禁日の翌日には頂上まで登った人の話がネット上に現れた。

 天気を調べると7月4日から4日間は曇りで、雨もあまり降りそうにない。梅雨明けや8月まで待でば天気や気温は良くなるだろうが、歩きたい気持ちはそれまで抑えられない。やるなら今しかないとその4日間を狙い、1ヶ月温めていた海抜0mからの富士登山を実行することにした。


[ 前へ ]  [ 目次 ]  [ 次へ ]


Copyright (C) 2019 諸行無常 All Rights Reserved