早朝のシゴキ (チェンナイ) 2003年3月17日〜23日


 インド四大都市の一つチェンナイ。別名マドラス呼ばれるこの都市は、都会というだけで見るところはなく、落ち着ける場所もない。そんな町に一週間ほど滞在していた。
 何もないなら、さっさと次の町へ移動すればいいじゃないか。そう考えるのが普通だろう。ここに長く滞在していたのには理由がある。それは以前に違う土地で出会った、オーストリア人の女の子と再会が出来たからだ。

 ここにいた時期はインドでも大きな祭りの「ホーリー」がある時だった。これは色のついた粉をかけあう変わった祭り。
 観光客はその時期には外を出歩かない方がいいなんて事も聞いていが、そんなものを見逃すわけにはいかない。外にいれば祭りに遭遇するだろうと町を歩き回ってみた。

 だが、全身が粉で真っ赤やピンクになった人々をたまに目にするだけで、祭りなどはどこにも見当たらない。後で知ったのだが、この祭りはインドでも北の都市で有名らしく、チェンナイ周辺のインド南東では、あまり習慣がないとのことだった。

 町を散策する理由もなくなったので、ビーチへ行ってのんびりしようと海へ向かった。浜辺を歩いていると、全身が赤やピンクに染まった団体がいるじゃないか。これこそ求めていたホーリーじゃないかと、小走りにその輪へ近づいてみた。

 意気揚々と輪の中を覗いてみたが、それはホーリー祭じゃなくてプロレス祭り。どこかで既にホーリーは済ませてきたのだろうか、3、40人ほどいた連中の全身は赤く染まっていて、まるでどこかの部族のようだった。
 祭りで消化しきれなかったエネルギーを発散させるためか、1対1のレスリングを順番にしている。ホーリー祭は見れなかったが、このプロレス祭りを見物できたのも面白かった。

 栄えているエリアへ行ってもつまらないので、宿の近くの立ち飲み屋で飲んでいると、後から入ってきたオッサンが話し掛けてきた。
 オッサンはバーの向かいでタイヤの修理屋をやっており、私が毎日この辺りをうろうろしていたのを見てたのか、泊まっている宿まで知っていた。

 昨日別の店で買ったラム酒がバッグの中にあったので、それを取り出して飲もうとした。その事に気がついたオッサンは顔に似合わず「それはダメだと」注意してきた。
 真剣な顔なので店員に告げ口されても困るので、たしなめるつもりで新しいボトルをこの店で買って一杯おごった。

 お互いあまり英語が話せなく、酔ってもいた。オッサンはなぜだかファイティング、ファイティングなどと訳の分からない事を連呼しているので、ケンかでも売られていては困ると、
「それはインドとパキスタンだけでやってくれ」と冗談まじりにたしなめた。
 ジョークが分かったのオッサンはえらく爆笑してご機嫌になり、俺の店を見に来いと誘うのでついていった。

 どこでもそうだが、オッサンの店にもヒンドゥー教の神様のポスターが貼ってあった。その話題をするとさすがに信者であるためか、あれこれ説明をしてくれる。しかし、私もすでに酔い心地。質問しときながら話半分は聞いてなかった。

 説明が込み入ってきたのでポスターを指差して、こういうポストカードがどこかで買えないかと聞いてみた。すると、オッサンは店の奥から何かを持ってきた。それは古いカレンダーで、月ごとにいろんな神様の絵が載っていた。オッサンはもう使わないからとそれを私にくれた。

 泊まっていた宿には迷惑なサービスがあった。それは毎朝7時に必ずチャイの注文をとりにくること。これが返事しなければ、しつこく何度もやって来るのだ。
 数日は目覚まし代わりになってよかったが、あまり繰り返されるとだんだん鬱陶しくなる。それで4日目の朝に「明日はいらないから、起こさないでくれ」と頼んだ。

 しかし、必須の仕事なのか、次の朝もしっかりとノックをしにやって来た。ボーイじゃ話にならないのでオーナーに頼もうとフロントへ行ったが、いつも留守で要求を告げる事は出来ず、結局1週間連続でノックを受ける羽目になった。

 オーストリア人の女の子との再会を何日待っていたので、会ったときは嬉しさも倍増した。つまらない町で無駄に過すのも、そのためなら耐えられるシゴキだ。しかし、あの連続ノックは、野球部員でも根を上げるほどの早朝練習だった。




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