聖地は貪欲なところ (プシュカル) 2003年1月30日〜2月3日


 プシュカルはヒンドゥー教の聖地で、旅行者が長く滞在する沈没地。町には聖なるプシュカル湖があり、信心深い人々が沐浴をする姿を見ることも出来る。
 メインストリートには旅行者向けのレストランや土産物屋、衣服店などが軒を連ねる。長く滞在する者が多い事を象徴する事なのだろう。さながら仙人のような容姿のヒッピーや、それに近い格好をした若者の姿も多くあった。

 沐浴を見ようとガート(沐浴場)に入ると男に話し掛けられ、こっちへ来てみろと促された。いい事は起こらないだろうと想像は出来たが、興味本位でついて行った。
 男はガート入口の横にある部屋へと私を招き入れ、そこに祭ってあるクリシュナ像の前で何やら説明を始めた。

 そして話を聞いていると突然、私の眉間に赤い粉を付けてきた。この予告なしの奇襲攻撃は、ジャィプルで訪れた寺院でも経験していた。その時と同様に、その後でに求められたのは寄付という形の金。男は1ドルか100ルピー寄付しろと言ってくる。

 部屋までついてきたのは私なので、せめてもの気持ちで1ルピー差し出した。すると、今までフレンドリーだった男の表情が急変。眉間には赤い点でなく皺を作り、その額じゃ少ないのでもっと寄付しろと、仁王像のような凄味で強要してきた。

 気持ちを寄付してるだろと言っても、金額に納得がいかない様子。表情はさらに曇り、ついには罵声を投げかけてきた。
 さっきまで神様などと話していた男とはまるで別人。返す言葉もないほど呆れたので話の途中で立ち去ると、男は背中越しにもまだ何か喚いていた。

 ガートの中を歩いていると、老人が胡座になって熱心に拝む姿があった。こういう真面目な人もいるのだと、しばらくその老人の動作を眺めていると、今度は黄色い布をまとった長髪のサドゥーが花びらを抱えて近寄ってきた。

 サドゥーとはインドの修行僧。また何か起こりそうな気配たっぷりなそのサドゥーの用件は、花びらをガートに投げ入れて崇めてくれとのこと。また揉めるのは嫌なので、金は取らないことを確かめた上でそれに同意した。

 だがここでも寄付の要求が始まり、先程と同様な事が展開していった。神聖な場所に足を踏み入れてる事は承知なので、少々の寄付はしようとも思うが、こうなるとそんな気持ちも失せる。
 目の色を変えて金を要求してくるのは、ほとんど詐欺に近い。もしかすると偽者のサドゥーの可能性もある。本物だったらこんな事はしないはずだ。

 町の両はずれには急勾配の小高い丘があり、それぞれの頂上に寺があった。その一つの丘へ登ろうと歩いていくと楽器を演奏している男がいた。それは1本だけの弦楽器で、奏でられる音色はバイオリンのよう。

 この音色と奏でられた哀愁のある曲は、アジアの中東にいるという現実感をリアルに感じさせるもので、周りの景色とも見事にマッチしていた。
 そんな余韻の最中、演奏のお礼に5ルピーのチップを差し出すと、10ルピーくれと言ってくる。現実に引き戻すのも上手いミュージシャンであった。

 別の日もガートで人々の生活模様を眺めていると、男がガネーシャという象の顔をした神様の石像に花を祭っていた。その建物の上には、これまた神様である本物の猿たちが何匹もたむろしていた。

 猿たちは男がいなくなったとたんに、石像に祭られた花を取り出して貪り始めた。人が来ると建物の上に逃げ、いなくなるとまた降りてきて花を食い散らす。これもまた日常の場面のひとつなのだろうか。なんだかひどく滑稽に思えた。

 ヒンドゥー教の信者にとってここは聖地なのだろうが、仙人のようなヒッピー、欲深い修行僧、お供え物を貪り食う猿たち、宿のおやじに調達してもらったウイスキーを毎晩飲む私などを考えると、ここは貪欲の地という方が相応しいようだ。




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